日本の底力をアップさせる~新シルバー世代の経営者

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明治・大正時代の平均寿命をご存じでしょうか。いずれも40代前半です。当時の新生児の死亡率の高さなどもあり中央値ではありませんが、平均寿命が50才を超えたのは第二次世界大戦後の1947年ですから、ごく最近です。人生100年時代を迎え、新たな働き方・仕事との向き合い方が問われるなか、第一線で活躍する「新シルバー世代」の方々が着実に増えています。

M&A投資家であり、新事業を立ち上げ、その上場までも目標に据え始めた、「新シルバー世代」の中でもとりわけ元気な株式会社一貫堂 代表取締役 長屋博さんにその秘訣を伺いました。

札勘定ができなかった銀行時代

Z-EN――家業を継がれる以前はどのようなことをされていらしたのですか?

長屋博氏(以下、長屋氏)――出身校の一橋大学在学中は、テキストが全部英語というゼミに所属し、海外の経済原論を原書で読んで議論し合っていました。そんな影響で、卒業後は海外と交渉して日本を変えてやるぞ!という気構えで外務省に勤めたいと思っていたのですが、家業をやっていた両親から反対され、地元の銀行に入行しました。

1年間、東京の深川支店勤務で火災保険の質権設定や住宅ローン、司法書士との交渉などを行い、その後、本部の外為部門で三菱商事などの大手企業の顧客に対するLCチェックなどをしていました。
当時は、お金に触ることなく色々な経験をしました。

次の秋葉原支店では、窓口業務に配属されましたが、札勘定ができず、、、勘定も合わず、、、事務にも不慣れだったので、先輩の女性行員には色々と助けて頂きました。
また、営業を行っていた当時は、絨毯マーケティングと言っておりましたが、ビルの一番上から下まで順番に飛び込み営業をして、貸し出しから預金まで全てを行っておりました。

そんな時に、家業に戻ってこいということで、26歳で長屋印刷に戻りました。

株式会社一貫堂 代表取締役 長屋博氏 写真はZ-EN撮影

家業の承継、合わない勘定

――家業を継がれた後は順調でしたか?

長屋氏――家業の印刷会社での最初のミッションは、家業の印刷会社の東京工場設立でした。
東京に支店はありましたが4人しかおらず、印刷機械のオペレーション、印刷紙の積み下ろし、請求書管理から決算まで全部やりました。
設立まで半年間かかりましたが、その甲斐もあり、機械のオペレーションやメンテナンスなどを知ることができました。

その後、営業として1社を担当しながら、新規営業もやりました。
事務用品大手メーカーのトンボに新規で営業に行き、その場で紙の見本や、写真、色数を確認して、15~20万円の仕事をもらうことができました。
しかし、事務所に戻り、社員から部数を聞かれ、確認できていないことに気づきました。
当時はとんちんかんなことをやっていました(笑)。

入社後半年ほど経った頃、社長であった母親が本社の経理課長を突然解雇してしまい、私が戻って経理を担当することになったのですが、元帳が未収金だらけで驚きました。
残高も合わず、机には請求書が山積みでした。
それを3、4日で銀行に回さなければ間に合わないと言われ、さて、どうしようと。

発注システムをそのまま流用して請求書が自動的に発行できるオートメーションシステムを作りました。
発注するときに粗利をチェックし、〇%以下は発注できないようにルール化しました。それを翌月払いで調整するようにしたら、数時間で経理が終わるようになりました。

営業部では、価格表もなく、業務フローもありませんでした。
マニュアルを作成したところ、反発を受け、「基準があったほうがいい」と皆を説得しました。
結果、マニュアルの価格表からどれくらい割り引くか?という営業が浸透して、上手く回っていきました。

工場とデザイン部門を「ちから技」で改革

――1つ1つクリアされていったのですね。古参のスタッフをまとめるのは並々ならぬご苦労があったことと思います。

長屋氏――社内で猛反発されながら、次はデザイン部門20名の改革をやりました。
40店舗分の両面チラシを毎週つくるというハードなスケジュールでの受注。
版下の数は320本です。
現場はオーバーワークで退職者が続出している状況でしたので、アルバイトの補充と意識改革で何とか乗り切りました。

次は工場改革です。
後継者候補ではあるものの、私の言うことは誰も聞いてくれませんでした(笑)。
痛烈な洗礼を受けましたね。

そんな状態でしたので、日本酒とつまみを買ってきて、工場の床にざらの包装紙を敷き、自分で歓迎会を企画しました。
工場の従業員と握力勝負をし、私は握力だけは強かったので勝つことができまして、上下関係を勝ち取りました(笑) 。

管理手法としては、タスク管理や時間管理に「ゲーム性」を持たせながら誰もが分かるようにしました。
仕事の勝ち負けを分かるようにして「遊び」を取り入れたことで、生産性が上がっていきました。

▶家業を継がれた長屋さんのご苦労がよく分かるお話でした。次のページでは、通販業界に参入された経緯と独自購買システムの構築、さらには、地方創生プロデュース会社設立への精力的な取り組みについてお届けします!

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長屋博
株式会社一貫堂 代表取締役

投稿者プロフィール
株式会社一貫堂のほか、ジェイプリント㈱、㈱長屋印刷、東桜ビル㈱、㈱THE COの代表取締役、上場企業㈱ケア21の取締役、㈱月刊総務のオーナーを兼務する。
1952年生まれ。一橋大学商学部卒。銀行勤務後に家業である長屋印刷に入社。アスクル創業期の初期代理店で売上規模は全国代理店でも上位に位置する。購買プラットホーム「Kobuy」は上場企業、学校法人を中心に活用されている。
趣味はゴルフ・陶芸・料理・アート作品の鑑賞

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