現場で生きる防災力を世界に発信!一人ひとりの「備える」を社会の力へ
- 2026/9/2
- インタビュー

玉田太郎氏が代表を務める株式会社防災士研修センターでは、防災士を育成する研修を全国で展開し、これまでに1,400回を超える研修を実施してきました。現在、年間約3万5,000人増える防災士のうち、約1万3,000人を同センターが養成するなど、防災人材の育成の担い手となっています。 その根底にあるのは、「BCPの根幹は人」という考え方。玉田氏は、事業存続の危機やコロナ禍にも独自の発想で向き合い、画家への挑戦や大学院での学びを防災の仕事へ還元してきました。スポーツで培った「とにかくゴールする」精神を経営にも生かしながら、現在も、現場で使える防災の普及と、国内外の防災の仕組みを変える挑戦を続けています。
目次
「防災の知識」を「人の力」に変える、全国規模の教育事業
Z-EN――現在、防災士研修センターの代表でいらっしゃる玉田さんは、どのような事業をされているのでしょうか。
玉田太郎氏(以下、玉田氏)――私どもは、防災士を育成するための研修を行っている会社です。
防災士は1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに生まれ、1999年からスタートしました。
研修では、地震、津波、洪水、土砂災害、火災、都市防災、帰宅困難者対策などを2日間、12講座で学び、最後に試験を受けていただきます。
心肺蘇生などの救命講習も含み、合格率は80%以上です。
資格取得だけでなく、企業や自治体から講演やセミナーも依頼されています。
東京23区の防災職員を集めた研修や、全国約1,700自治体での地域特性を踏まえた防災講演を行っています。
また、企業には福利厚生の一環として防災を学ぶ機会も提供しています。
私はBCPの根幹は「人」だと考えています。
社員や家族が被災すれば、どれだけ立派な計画があっても事業は継続できません。
家族も含めて防災を学ぶことが、結果として会社の事業継続につながると思っています。

――これまでの実績について教えてください。
玉田氏――研修センターに勤めて18年になります。
最初は関連企業の「防災情報新聞社」で防災情報を発信し、その後、防災士研修の企画運営を行うようになりました。
現在、防災士は年間約3万5,000人増えていますが、その約40%にあたる約1万3,000人を私どもで養成しています。
北海道から沖縄の石垣島まで全国で年間105回開催し、これまで1,400回以上の研修を実施、そのうち約1,000回を私が企画してきました。
自身のセミナーも年間50回ほど行っています。
一度は事業存続の危機に。それでも「人を集める」のではなく「価値を届ける」へ
――これまで、事業の大きな転機となるようなことはありましたか。
玉田氏――はい。当時、防災士の年間養成人数は約5,000人でしたが、その多くを特定の団体が占めていました。
ある年に「今年は見合わせる」となったことから、スタッフも30人から7人ほどに減らし、事務所も撤収することになりました。
撤収の際、床に貼ったマットを自分ではがして捨てました。
業者に頼むこともできましたが、負け戦の後始末の痛みは、自分で背負うべきだと思ったからです。
二度とあんな状況にはなりたくないと強く心に刻みました。
最初は「次は自治体だ」と考えましたが、それでは同じことの繰り返しです。
そこで、一般の方一人ひとりに防災士という資格の価値を感じてもらおうと考えました。
広告費は使わず、「受けて良かった」「誰かに勧めたい」と思ってもらえる受講体験を徹底しました。
会場で何かを探している方に半歩近づくといった細かな接客まで、スタッフに伝えてきました。

「みんなが行く方向」を選ばない。苦しい道から見つけた経営の答え
――玉田さんの価値観にもつながっていますね。
玉田氏――私は「みんなが行く方向だから」ではなく、少数派がなぜそちらを選んだのかを見ることが大切だと思っています。
誰も選んでいない方に価値がある可能性もあるからです。
10年間続けたトライアスロンも同じです。
もともと運動が嫌いでしたが、あえて過酷なことを選び、10年間一度も完走できなかったことがありません。
残り3キロで自転車が壊れても、「あと3キロなら背負っていける」と考える。
形を変えればいい、とにかくゴールする。
この感覚はスポーツというより、経営に近いと思っています。
コロナ禍に画家へ転身。異分野への挑戦が防災教育に新たな視点をもたらした
――コロナ禍には新たな挑戦もされたそうですね。
玉田氏――毎回150人ほどが集まる防災士研修も「大規模集会」に当たり、開催を止めざるを得ませんでした。
その時、「これからどんな仕事をするのだろう」と考え、弁護士、ミュージシャン、画家の三つから、最も飯を食べるのが難しそうな画家を選びました。

「絵を売って生活できないか」と挑戦し、半年ほどで作品が売れるようになりました。
自分の好きな絵というより、人に評価され、作風と作家の顔が一目で結びつく作品を意識したのです。
そのアートの売上をきっかけに、元東京都副知事の方から声をかけていただき、明治大学大学院公共政策学部に入学。
そこで学んだ経験も、防災研修に生かしています。
――現在はどのような形で企業や自治体に関わっていますか。
玉田氏――基本は、防災に携わる人材を教育し、その方々が現場で防災対策や課題解決に動く基盤を作ることです。
一方、国や経済産業省に関係する委員会などでは、アドバイザーとして、防災用トイレの品質基準などを検討しています。
自治体の大型アリーナの防災対策についても、数千人、場合によっては数万人が集まる施設での災害対応について意見を述べています。
現在は、HYROXに取り組んでいます。
辛いスポーツを通じて、満足度を高め、「あともう一歩」と挑戦する気持ちを忘れないようにしています。
自分の意思決定力や折れない心も、こうした経験から取り入れたいと思っています。

防災を「現場で使える力」へ。国内から世界へ広げる次の挑戦
――最後に、今後の展望を教えてください。
玉田氏――一つは、海外への防災教育の発信です。
台湾では、日本の防災士制度への関心がとても高まっています。
防災士研修の講師が互いの国で防災教育を教え合える交換留学のような仕組みも実現したいですね。
スペインやイタリアからも話があり、国際交流を進めていきたいです。
もう一つは、日本の防災の仕組みそのものを変えることです。
災害時にキッチンカーで食料を届けようとするケースでも、現地までの交通網や道路の状況を正しく把握できなければ機能しません。
避難所も、体育館でプライバシーがないまま雑魚寝するのではなく、人としての基本的な権利が守られる基準が必要です。
このような課題を一つひとつ解消して仕組み化していくこと。
それが防災制度の根幹を強固にしていきます。
防災は、知識を持っているだけではなく、現場で使えることが大事です。
具体的なハウツーまで含めて、防災を広げていきたいと思っています。













