【書評】不確実な時代への問いは仏教の智慧に学ぶ
- 2025/1/14
- 書評
仏教が説く利他の精神。それこそが現代社会を生き抜くための知恵となり、課題解決のカギであると述べるのは、真言律宗僧侶で寳幢寺住職の松波龍源氏と音声プロデューサーで編集者の野村高文氏です。彼らの共著「ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考」では、自己犠牲も他者犠牲も伴うことのない「利他」に見る共生のあり方を明らかにしています。企業支援のエキスパートとしてご活躍の書評ブロガー、徳本昌大氏の書評でお届けします。
ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考
松波龍源, 野村高文(イースト・プレス)
本書の要約
仏陀(釈迦牟尼)の「よく考えなさい」という教えは、現代社会において特に重要な意味を持っています。2500年以上前に説かれたにもかかわらず、現代社会が直面する様々な課題に対しても、なお深い示唆を与え続けているのです。不確実性と変化に満ちた時代だからこそ、この教えを実践することで、より良い未来への道筋を見出すことができるのです。
今だからこそ生きる先人の知恵
時の試練を耐え抜いた先人の知恵は普遍性を持っており、今後も簡単に消えることはありません。環境変化の激しい時代だからこそ、先人たちが残したものに真摯に耳を傾け、現代を生きるうえでの指標とすべきなのではないか。私はそう考えています。(野村高文)
現代社会が抱える課題は、多様化と複雑化が進み、従来の価値観や枠組みだけでは対応しきれない側面が増えています。
この状況下で、古来の仏教の智慧がいかに有効な示唆を与えられるかを問い直し、具体的な形で提案しているのが本書「ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考」です。
著者の一人、松波龍源氏は、仏教思想を伝統的な枠組みから脱して現代社会の文脈で再解釈し、ビジネスの現場で活用できる実践的な指針として提示しています。
その中核には、「苦しみを発生させない」という仏教の根本理念を現代のビジネス環境に応用するという大胆な挑戦があります。
それは、仏教の教えを普遍的な智慧とし、苦しまないために「執着を手放す」という仏教の基本的な考え方をわかりやすく解説するものです。
松波氏が住職を務める実験寺院・寳幢寺は、伝統と革新の調和を体現する場として機能しており、仏教の教えを現代的な問題解決に活用する実験的な場となっています。
たとえば、日常生活やビジネスの現場における自己認識の深め方、人間関係の築き方、そして柔軟な価値観の形成に至るまで、幅広い視点から仏教的なアプローチを提案しています。
仏陀のいう「よく考えなさい」とは
仏教の開祖である釈迦牟尼(ゴータマ・シッダールタ)は、人間が「どのように考え、どのように行動すれば心豊かに生きられるのか」を、人生を懸けて考え抜いた人でした。その教えをひとことで表すと、「よく考えなさい」です。(松波龍源)
釈迦牟尼は、人類の普遍的な課題である「心豊かな生き方」を探求した思想家でした。
その膨大な教えのエッセンスは、人間の思考と行動についての深い洞察が込められた「よく考えなさい」という一言に凝縮されています。
釈迦牟尼は、人間の苦しみの多くが過去への執着や未来への過剰な期待から生まれると説きました。
過ぎ去った出来事を悔やみ続けたり、まだ見ぬ未来に不安を抱き続けたりすることは、現在の幸せを損なう要因となるとし、今この瞬間に意識を集中させることの重要性を強調しました。
また、人間は未来を予測する能力を持つ特異な存在であるがゆえに、その能力が諸刃の剣となり、予測が外れた時には未来への過度な執着が新たな苦しみを生む原因となります。
釈迦牟尼が説いた「今を生きよ」という教えは、私たちが確実に認識できる唯一の時間は「今」だと示唆する、まさに人間特有の苦しみへの解答なのです。
死は、人間にとって最も直面したくない未来の姿です。
人間は、死を予測できるゆえに死への恐怖も抱えています。
仏教が「死を考えなさい」と説くのは、最大の苦である死への恐れを克服することで、他の苦しみも乗り越えられるという示唆を含んでいます。
この教えは単なる心構えではなく、実践的な生き方の指針となり、現代社会においては特に重要な意味を持ちます。
情報技術の発達により、私たちは過去の記録に容易にアクセスでき、また未来の予測も以前より精緻に行えるようになったのですが、そのことが却って過去や未来への執着を強め、現在の生活の質を低下させる要因になっていると肝に銘じなければならないでしょう。
すべてのモノ・コトは関係性の中で成立つ
仏教の真髄は「ものごとに絶対性を見るな」「万物は変化の中にあることを知れ」「存在とはつながりであると見て、永遠の生命を生きよ」ということであると考えています。 仏教の実践とは、この世界観に立って自他の幸せを願い生きていくこと。
仏教の「中観」思想は、すべての物事が因果関係と相対性の中に存在することを説きます。
絶対的な実体は存在せず、すべては関係性の中で意味を持つという考え方です。
また、「唯識」思想は、物事の存在は認識と不可分であることを示します。
これらの考え方は、現代の量子力学や認知科学の知見とも通じる面があり、科学的世界観とも親和性があります。
このような思想的基盤に立つと、「私」という存在についても新たな理解が開けてきます。
私たちは独立した個人として存在しているように感じますが、実際には他者との関係性の中でのみ存在し得て、家族、友人、同僚、さらには見知らぬ人々との相互作用を通じて、「私」という存在を形作っているからです。
現代社会では個人主義的な価値観が強調される傾向がありますが、仏教の教えは人々の相互依存性の重要性を説いています。
この視点は、分断や孤立が社会問題となっている現代において、特に重要な示唆を与えてくれます。
仏教が考える利他の心
他者との関係性を意識し、それを大切にすることは、個人の幸福にとっても社会の健全性においても不可欠です。
仏教では「私」の存在は他者があってこそ成り立つと考えます。
そのため、「私」の利益と他者の利益は一致するものとして捉えられ、他者の幸福を考えることが自分の幸福につながると考えるのです。
他者の利益を考える際、仏教では「私」を起点とします。
一見すると矛盾するように思えるかもしれませんが、すべての物事は自分の認識によって成り立っているのだから、他者をどのように理解するにしても、それは自分の認識を通してしか行えないという唯識の教えです。
さらに、仏教における「空」の概念では、あらゆる現象は因果関係の結果として現れ、それを意味づけるのは私たち自身の心です。
このため、「利他」や「他者」という概念も、結局は自分の認識の中にしか存在しないのです。
「私」という存在について考えてみると、それは他者との関係性の中でのみ意味を持ちます。もし宇宙に自分しか存在しなければ、「私」という概念自体が不要となるでしょう。
このことから、「私」は「私以外のすべてのものではないもの」として定義できます。しかし、さらに深く考察すると、「私」は他者との相互依存関係の中に存在していることがわかります。
すべての存在は縁起によって支えられており、「私」も例外ではありません。
このように考えると、「私」は「私以外のすべてのもの(他者)」と等しいとも言えるのです。
この考え方は、単なる宗教的教義ではなく、論理的思考の積み重ねによって導き出されたものです。
利他に自己犠牲が伴ってはいけない
日本で美徳とされがちな自己犠牲や滅私奉公の精神は、本来の仏教的な意味では利他といえません。なぜなら、自分が犠牲になったら、自分とイコールでつながる他者も犠牲になってしまうからです。仮に自己犠牲による利他が成立しているように見えても、それは一時的な場合で、長期的にはバランスが崩れてしまいます。反対に、他者を犠牲にして自分の利益だけを考える我利我利亡者も、論理的にあり得ません。 自分が幸せになりたいのであれば、自分とイコールでつながっているすべての他者の幸せを考え、その実現のために判断・行動する。これが、大乗仏教における利他の真理です。
仏教における利他とは、自分と他者が相互に依存し合う存在であることを理解し、双方の幸福を実現するために行動することです。
日本で美徳として尊ばれる自己を犠牲にすることで他者を助けるという行為は、一見利他的に見えるかもしれませんが、「私」と「他者」の関係性が互いに不可分である以上、自分が犠牲になれば、その犠牲は他者にも影響を及ぼします。
当然、自分の利益だけを追求し他者を犠牲にするような行為もまた、一時的には利益を得たように見えても不健全な人間関係や社会環境によって、最終的に自分自身の幸福を損なうものです。
このような視点が現代社会においても多くの課題解決に役立つのは間違いありません。
長期的・全体的な利益を重視する仏教の姿勢は、実はポスト資本主義的な考えに近いものがあります。
短期的な利益追求や個人・組織の成功を重視し、環境問題や社会的不平等のような深刻な課題を生んできた従来の資本主義から脱却し、自分だけでなく他者、さらには社会全体の幸福や持続可能性を考慮するポスト資本主義的な視点が求める「個々の利益を超えた調和」や「全体の利益を重視する価値観」に回帰すべきとする考えです。
つまり、仏教の教えが示す利他の精神を現代に応用することで、より公正で持続可能な経済システムや社会構造を目指すことが可能となるのです。
具体的には、企業活動において、環境保全や労働者の福祉を重視したビジネスモデルの採用や、コミュニティとの関係を大切にする取り組みが挙げられます。
これは単なる慈善活動ではなく、長期的な視点に立った利他の実践であり、企業や個人が短期的な利益を犠牲にすることなく、むしろ全体の幸福を高めることで自らの利益をも向上させるという、より広い視野を持つ経済活動を促します。
不確実性と変化に満ちた時代だからこそ、これら仏教の教えを実践することで、より良い未来への道筋を見出すことができるのです。
出典:ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考 (松波龍源, 野村高文)の書評
この記事は著者に一部加筆修正の了承を得た上で掲載しております。
著者:徳本昌大、松村太郎(2024年8月6日発売)
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