映画ウィキッド考察~なぜグリンダとエルファバに友情が芽生えたのか
- 2025/3/28

ミュージカルとして世界中で愛され続けているウィキッドが、ついに「ウィキッドふたりの魔女」として映画化され注目を集めています。アリアナ・グランデ演じるグリンダと、シンシア・エリボが演じるエルファバの関係性は、物語の核心を成す要素の一つ。特に「なぜ正反対の二人に友情が芽生えたのか」という問いは、作品を深く理解するための鍵です。本記事では、シズ大学での出会いからエメラルドシティの運命に至るまでの二人の関係性を、性格の違い、共通の体験、社会の圧力、そして成長の過程から考察し、紐解きます。
正反対の性格が生んだ補完関係を考察
グリンダの「表の顔」とエルファバの「本質」
グリンダは明るく社交的で「Popular」と歌われるように周囲からの人気を重視するキャラクターです。一方、エルファバは内向的で社会の不正に対する怒りを内包しています。一見すると相容れないように見える二人ですが、この「表と裏」の関係性こそが、互いの欠けた部分を補うきっかけとなりました。グリンダはエルファバの「真摯さ」に触れ、エルファバはグリンダの「柔軟性」から人間関係の処世術を学んでいると言えないでしょうか。
グリンダとエルファバのルームメイトとしての必然性
シズ大学でルームメイトになったのは偶然ではありません。映画ではひとつの勘違いがルームメイトになるきっかけとして描かれていますが、物語の背景にある「オズの魔法使い」の世界観では、運命が二人を引き合わせたと解釈できます。エメラルドシティの支配構造や動物たちの差別問題(現代社会における差別の問題を象徴していると言えます)といった社会課題に対し、グリンダは「表舞台からの改革」を、エルファバは「体制への反抗」を選びます。ルームメイトという近い距離だからこそ、互いの選択肢の「正当性」を認め合えたと言えないでしょうか。
魔法の力への向き合い方が友情に
魔法を使いたいと願う2人ですが、グリンダが「人を魅了する魔法」を使いたいと考えるのに対し、エルファバは「現実を変える魔法」を追求します。この違いは、彼女たちの価値観の違いを象徴していますが、同時に「魔法の本質」に対する共通の好奇心が友情の土台となりました。オズの魔法使いからの評価やシズ大学での授業を通じて、二人は魔法の可能性について議論を重ねていたと想像してみてはどうでしょう。映画ではそこまで描かれていませんが、互いの視点を尊重し合う関係性を築いていったと捉えることができます。
孤立感の共有も友情か
グリンダもエルファバも、周囲から「完璧ではない」と見られていました。グリンダは、おバカで「軽薄」というレッテルを貼られがちであり、エルファバは「緑の肌」という外見的な理由で差別されます。この「孤独」を分かち合ったことが、二人の心を近づけました。特にエルファバがグリンダに「Defying Gravity」を歌うシーンは、重力に抵抗するという意味で、互いの弱さを受け入れる決意の表れだと感じます。
オズの社会的圧力が友情を深化させた3つの契機を考察
シズ大学の競争環境を考察
シズ大学は理想の世界であるエメラルドシティの教育機関であり、生徒たちは競争を強いられていると読み取れます。そんな環境下で、グリンダとエルファバは「ライバル」ではなく「協力者」としての関係を選んだと解釈することができます。
オズの魔法使いの陰謀を考える
オズの魔法使いが「善なる統治者」を装いながら、実際には差別や弾圧を推進していた事実は、皮肉にも二人に共通の敵を作り出しました。共通の敵を作る、という手法そのものがオズの魔法使いが語るところの民衆を一致団結させる手法なわけですが、エルファバとグリンダにとってもオズの魔法使いこそが共通の敵であるかのように見えるわけです。エルファバが魔法使いの不正を暴こうとする過程で、グリンダは「表舞台から内側を変える」という方法論を提案しているように見えます。物語の終盤、この意見の相違が衝突ではなく、相互理解へと発展した背景には、相手の立場を真剣に考える姿勢があると感じられます。
グリンダとエルファバのフィエロを巡る三角関係とは
フィエロという男性を巡る恋愛模様は、一見すると二人の仲を引き裂く要因のように思えます。しかし実際には、エルファバがグリンダの幸福を願って身を引く場面が描かれます。ここに「自己犠牲」ではなく「相手への信頼」を見出したことが、友情の堅牢さを証明しています。
エメラルドシティの民衆の目は現代社会を映す鏡
民衆から「悪い魔女」とレッテルを貼られたエルファバに対し、グリンダは最後まで彼女の真実を信じ続けたと言えます。社会の偏見が強まるほど、二人の絆は試されつつも強化されていきます。特に物語の終盤、グリンダがエルファバに黒いマントを渡すシーンは、友情が「伝説」として受け継がれることを暗示しています。しかし一方で、その黒いマントを渡すこと自体が、皮肉にも魔女の完成に繋がるわけです。イメージとしての黒い帽子、黒いマントを羽織った魔女が、いずれもグリンダの手によるものだったのですから。
エルファバとグリンダの友情の核心にある価値観を考察
良い魔女と悪い魔女の二項対立を超えて考える
「ウィキッド」が従来の「オズの魔法使い」と異なる点は、善悪の境界を曖昧にしたことです。グリンダが「良い魔女」、エルファバが「悪い魔女」とされる構図は、民衆の視点に過ぎません。二人の友情は「ラベルに縛られない真実」を追求する物語そのものであり、観客に多角的な視点を投げかけます。特に、自分と異なる誰かを敵にして排斥することを続ける人間の愚かさがここまで露呈してしまっている現代では、どちらが善か悪かを単純には決めつけられないことを、観客は身に染みて感じるのではないかと思います。
音楽が紡ぐ感情の共有を考察
映画ウィキッドでも登場する「For Good」という楽曲は、二人の友情を象徴する名曲です。歌詞中の「誰かがあなたを変え、あなたが誰かを変える」と解釈できるフレーズは、グリンダとエルファバが互いに与えた影響を端的に表現しています。ミュージカルならではの情感豊かな表現が、友情の深みを引き立てています。
アリアナ・グランデとシンシア・エリボの演技力
映画版では、アリアナ・グランデがグリンダの「華やかさと脆さ」を、シンシア・エリボがエルファバの「強さと孤独」を繊細に演じ分けています。特に2人の歌声のハーモニーは、キャラクターの心の通い合いを視覚的・聴覚的に表現し、観客に強い印象を残します。撮影では、演技と歌を同じ場所で撮ったと言います。シンシア・エリボは宙づりになりながら歌ったわけで、シンシア・エリボの演技力のすさまじさを感じます。
ウィキッドの現代社会へのメタファーを考察
「ウィキッド」の友情物語は、現代のSNS社会における「分断」へのアンチテーゼとも解釈できないでしょうか。外見や立場の違いを乗り越えて理解し合う姿勢は、多様性が叫ばれる現代にこそ必要なメッセージです。グリンダとエルファバの関係性は、異なる価値観を持つ者同士が共に成長する可能性を提示しています。映画に登場するエメラルドシティは、よく見るとそこに住む人物たちがとても多様性に富んでいます。多様性に富んでいる街なのに、じつは動物のように排除されている人たちが存在する、というのは、現代のSNS社会の分断をあらわしているようです。
ウィキッド考察まとめ
グリンダとエルファバの友情は、「相反する要素が融合することで生まれる化学反応」の象徴です。シズ大学での出会いからエメラルドシティの決戦まで、二人は互いの違いを否定せず、むしろその個性を尊重し合いました。映画「ウィキッド」が伝えるのは、友情の形は一つではなく、相手を「変えようとする」のではなく「理解しようとする」姿勢の重要性です。アリアナ・グランデとシンシア・エリボの圧倒的な演技と歌声が、この普遍的なテーマを新たな次元へと昇華させています。映画ウィキッドふたりの魔女は、続編も用意されています。後編がどのように描かれるのかも楽しみです。
※イン・ザ・ハイツやクレイジー・リッチ!で有名なジョン・M・チュウ監督が監督したウィキッド ふたりの魔女は、第97回アカデミー賞で美術賞、衣装デザイン賞を受賞しました。主演女優賞にシンシア・エリボ、助演女優賞にアリアナ・グランデがノミネートされました。また第82回ゴールデングローブ賞ではシネマティック・ボックスオフィス・アチーブメント賞を受賞しました。