盆栽業界の伝統に新風を吹き込む「よそ者」4代目の挑戦(前編)

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日本の伝統文化「盆栽」 1,300年前の平安時代に中国から伝わり支配階級に愛された盆栽は、江戸・明治時代には庶民にも普及し、日本独自の文化として花開きました。園芸とは一線を画す芸術作品に昇華する盆栽を多く扱う、愛知県岡崎市の老舗盆栽園「大樹園」に異業界から参入した4代目の鈴木卓也さん。老舗の技術力にくわえて、今までにないマーケティング手法で伝統的な業界に新風を吹き込んでいます。日本の芸術の象徴として盆栽の価値を広め、新たなファンを獲得する鈴木さんにお話を伺いました。盆栽業界に今何が起こっているのか、ぜひ知っていただきたいと思います。

日本屈指の盆栽園を承継

Z-EN――本日はよろしくお願いします。盆栽といえば日本文化の代表格ですが、鈴木さんは昭和9年から続く名園「盆栽 大樹園」の4代目でいらっしゃいますね。

鈴木卓也氏(以下、鈴木氏)――はい。大樹園は初代の鈴木佐市がこの愛知県岡崎市の地で開園し、黒松の短葉法を世界で初めて発見し世に広めた盆栽園です。

私は婿養子としてこの家に入ったのですが、それまで盆栽とは無縁で、建築の勉強と仕事をした後、好きが高じて料理人の道を歩んでいました。
ですから、結婚後も妻の実家の家業である盆栽園の仕事とは距離を置いていたんです。

――盆栽に関わるようになったことに、何かきっかけがあったのですか?

鈴木氏――きっかけは東日本大震災です。震災当時、子どもを授かったこともあり、家族と過ごす時間を持つことの大切さを考えるようになりました。
料理人の生活は土日もありませんから、想いを実現するのは難しい。
そんなときに、家業の大樹園を家族とともに切り盛りする義父の姿を見ていたら、義父の跡を継ぐという選択肢を意識するようになりました。

長年モノづくりの仕事をしていた上に、もともと凝り性なので、盆栽の楽しさを知ってのめり込んでしまいそうな自分もいました。

悩みつつも覚悟を決め「継がせてください」と義父に伝えたら、びっくりされましたね。

黒松盆栽の名門・昭和9年開園 盆栽「大樹園」
 作風展 内閣総理大臣賞受賞など受賞履歴のある銘木を数多く育てている。
(写真はZ-EN撮影)

後から、大樹園は盆栽業界では5指に入る一大ブランドだと知り、ずいぶんと大それたことを言ってしまったものだと思いましたが(笑)、気負いなく入っていけたことは逆に良かったと思っています。

▶他の業界から転身し老舗盆栽園を承継した鈴木さん。次のページでは、苦境に陥る盆栽業界にイノベーションを仕掛ける多彩な取り組みについてお届けします!

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鈴木卓也
盆栽 大樹園 4代目園主

投稿者プロフィール
1932年開園の老舗盆栽園「大樹園」の4代目。
大学で建築工学を学んだ後、地元の建築ディベロッパーでの営業職や、イタリアンレストランでの調理・接客、従業員管理等の職に従事。
2011年、妻の実家の大樹園に婿入り。結婚3年目に後を継ぐことを決意。大樹園の2番弟子である鳥栖昭緑園の久保田政充に師事した後、大樹園に戻り、義父である鈴木亨より盆栽を学ぶ。
国内外の盆栽展での受賞実績多数。盆栽業界への問題提起や企画立案、他業種とのコラボレーションなど、独自の視点で活動範囲を広げ、盆栽業界を引っ張る存在と目される。

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