時代の先を見据えるМ&A経験者が次にチャレンジする「AgeTech」
- 2020/12/14
- インタビュー
今回ご紹介する三橋克仁さんは、東京大学大学院在学中に大手コンサルティングファームの内定を辞退し起業した挑戦者です。2018年に、大手予備校への会社売却を経験し、М&Aという形でその挑戦に一旦ひと区切りつけました。そんな三橋さんが次に選んだビジネス領域「AgeTech」とは何なのか。そして、なぜ「AgeTech」なのか?三橋さんの生い立ちから、会社売却の経緯までを語っていただきました。
目次
初めて自分に投資してくれた校長先生
Z-EN――どのような少年時代でしたか?
三橋克仁氏(以下、三橋氏)――宇宙飛行士になるのが子供の頃からの夢でした。
宇宙飛行士になるために、東京大学で宇宙工学を学ぶことを目標にするのですが、どちらかと言えばヤンキーの多い中学で、進学塾に通わせてもらえる余裕もうちにはありません。
父はフランス戻りの画家と聞こえはいいのですが、当時、日本で画家として生計を立てるのは難しく、決して裕福な家庭ではなかったので。
中学生時代は、世の中の不条理にイライラして、ガードレールを蹴って歩いていた時には補導されてしったこともあります(笑)。
当時目をかけてくれていた校長先生に呼び出され悩みを打ち明けたところ、父の絵を個人的に100万円で買ってくれ、それを軍資金に進学塾に通うことができました(笑)。
――人情味というか、先見の明がある校長先生ですね!結果は?
三橋氏――睡眠時間を削り、気を失うようなブラックアウト状態になるまで勉強しましたね。
その甲斐もあり、私学には行けないと分かりながら「開成必勝コース」の特待生となりました。
死ぬほど勉強したこともあり、筑波大学附属高等学校に合格。
その後、目標であった東京大学理科一類に進学することができ、当時の校長先生には本当に感謝しています。
東大エリートから、イバラの起業の道へ
――東大卒業後、就職せずに起業されていらっしゃいますね。どうして、起業を選択されたのですか?
三橋氏――多くの東大生のように、大学院へ進み戦略系コンサルティングを経て、海外でMBA取得のようなイメージを確かに持っていました。
実際、大手コンサルティング会社にインターンで入り、内定もいただきました。
しかし、ちょうどその時に仲間と始めていた教育系ITビジネスが軌道に乗り始め、就職か起業かという選択で悩みました。
最終的には、リスクをとって起業するという選択肢を取りました。
この教育系ITビジネスこそ、我々が開発したスマホ家庭教師「manabo」です。
このビジネスであれば、人もお金も何とかなるという自信があったからでしょうね。
その頃に訪れたシリコンバレーで、同世代の優秀な人材がどんどん起業する文化にも刺激を受けました。
守るものは何もないと原点に返り、もしかしたら世界を一歩前に進める何かができるかもしれない、その可能性に人生賭けたほうが面白いのではないのか、といった感覚が自分の背中を押してくれました。
時間はかかりましたが、大学院も2013年に修士修了し、無事卒業することができました。
IPOよりМ&Aを選んだ理由
――起業は順調でしたか?
三橋氏――スマホでやりとりできる家庭教師としてスタートした「manabo」の創業は2012年4月です。
スタートは予備校の間借りで、狭い部屋でコードを書きながらサービスの原型をつくりました。
多くのベンチャーが経験するように色々とありましたが、学生時代からこのマーケットへの関与もあり、事業は順調に拡大しました。
事業の拡大に伴い、教育業界の大手企業であるベネッセ、Z会から、出資を受けることもできました。
そして、2018年6月に駿台グループへ100%株式譲渡をしました。
――同業株主がいる中での100%株式譲渡、すごいですね?IPOの選択は?
三橋氏――IPOの選択もあったのですが、増資を検討していた2017年はいわゆるEdTech(教育とテクノロジー)という分野の株価があまりついていない状況でした。
フィナンシャル系のベンチャーの評価があまり良くなく、事業を評価してくれるベネッセ、Z会等に投資していただきました。
そのまま3年ほど経営していれば上場もできたかもしれませんが、自分は教育者ではなく起業家なので一旦ひと区切りつけて、新たな事業でもう一度大きなチャレンジをする選択肢を選びました。
▶大学卒業後、起業という茨の道を選択した三橋さん。次のページでは、事業売却後の新たなチャレンジとなる「AgeTech」について詳しくお届けします!