【PICK UP!注目の経営者】老舗ベンチャー事例「伝統」と「革新」よそ者だからできた
- 2020/10/1
- 経営全般
変化の時代にあって単に事業を引き継ぐだけでは、成長どころか生き残りが難しい状況になってきました。
何かしらの手直しが必要です。
時には過去の常識やしがらみを捨てる勇気も必要です。
今回は、「和傘」という市場規模が激減した業界の中で変化を取り入れて成功した事例を紹介します。
市職員から和傘職人へ
出典:https://www.wagasa.com/order/
京和傘「日吉屋」の創業は、江戸時代後期の老舗まで遡ります。
西堀氏は5代目ですが、家業を継ぐことを義務付けられた訳でも、それを期待されていた訳でもありませんでした。
奥様の実家がたまたま和傘屋だったのが色々な意味での運命の出会いです。
奥様の実家を訪れ和傘の美しさに魅せられた西堀氏は、歴史ある事業を次世代に残すことに使命を感じ公務員という安定の地位を捨てることを決意します。
そして2004年、日吉屋の五代目就任を決意しました。
理想と現実のギャップ 承継時の年商は160万円
事業承継を決意した後で年商が僅か160万円であったことを知ります。
月商ではありません年間の売上です。
ひとつ家族が健康で文化的な生活を営むには難しい水準です。
京都に200件あった和傘製造業は日吉屋1件となっていました。
リアルな生活の場からは和傘は消え、国内和傘生産量もピーク時の年間1,400万本(1950年代)から大幅に減り、市場は消滅というレベルまで衰退の一途を辿っていました。
和装から洋装、生産拠点の海外移転等がその背景です。
和傘の市場がほぼ存在しない中、既存顧客のシェアを増やすとか、和傘の新商品をつくる等の手法で売上を上げることは極めて困難です。
途方に暮れる中、転機が訪れます。
出典:西堀耕太郎氏セミナー資料より
起死回生のヒントは何気ない日常から
和傘の生産工程は数十に及び、完成までに数か月かかることもあります。
その中に傘に防水効果を持たせるため、和紙に植物性油を塗布する「傘干し・油引き」という工程があります。
晴天が続いても二週間ほど要します。
お寺の境内で作業をしながら、太陽から透ける柔らかな和傘の美しさに見とれている時にふと「照明にできないか」という発想が浮かびました。
大きな転換期がまさに訪れた瞬間でした。
出典:https://www.wagasa.com/wp-content/uploads/pdf_order_washi.pdf
伝統工芸技術が、デザイン照明へ
まずはアイディアを行動に移し、単に和傘に電球を付けたシンプルなものを作成したが、市場評価を得ることはできず。
試行錯誤の上、照明デザイナー等と連携し、筒形でコンパクトに畳むこともできる照明「古都里-KOTORI-」が完成。
これがヒット商品となります。
出典:https://www.wagasa.com/cp_jp/products/kotori/
その後、有名デザイナー達との連携も増え、現在では世界を代表するラグジュアリーホテルでも多数採用されるなど、海外でも高い評価を得ています。
気が付けば、売上は事業承継した時から比べ、日吉屋グループ全体で数百倍となっていました。
あの日、お寺の境内でみた夢が実現していました。
出典:https://www.wagasa.com/cp_jp/products/others/
出典:https://www.wagasa.com/wp-content/uploads/pdf_other.pdf
「よそ者」だからできた事業リノベーション
京都に200存在した和傘製造業は、西堀氏という業界外の人物が追いつめられる中、変化を求め実現したことにより唯一生き残ることができました。
自然界では「強いものでも賢いものでもなく、変化できるものが生き残る」と言われています。
会社経営でも同じことが言えますが、歴史ある業界や一族の中から「異端児」が出る可能性が少ないのが現実です。
現在は、その経験を活かし、同じような課題で悩んでいる日本の伝統工芸や中小企業の商品開発や販路開拓を支援する事業も手掛け、活動の幅を広げています。
どの業界、会社も単に引き継ぐだけでは成長は望めません。
業界の常識に囚われず何かを変革できる「よそ者」が今後、益々求められているのを感じます。