茶の湯、見立てで自分にフォーカスし、マインドフルネスに(後編)
- 2023/3/23
- インタビュー
自分の内面に向き合っていますか?そして、感じ、考えたことをアウトプットできていますか?自作の茶器を用い、「自然の中でお茶を味わう」など独自のスタイルでお茶席を展開するアスリート陶芸家の山田翔太さんは、インタビュー前編で、さまざまな人がお茶に触れる機会を提供し、「見立て」を通して日本の精神を伝える経験をお話しくださいました。後編では、いまの時代を生きる人にこそ必要な五感を豊かに震わせる体験の大切さや、型を突破する思考法などについてお話くださいます。
目次
江戸時代のお茶席はエンターテインメントだった!
Z-EN――茶道というと多くの戦国武将が愛していたことが知られています。時のリーダーである武将たちは、なぜ茶道にハマったのですか。
山田翔太氏(以下、山田氏)――千利休が活躍していた時代のお茶は、単純に「どんな面白い道具や環境でこの一服を点て、どうおもてなしするか」が重要だったのだと思います。
要するに、エンターテインメントとしてのお茶であり、今でいうディズニーランドのようなもの。
亭主である利休に呼ばれたお客様がにじり口から入って、露地を通り、お茶室にたどり着くまでに、いろいろな場面展開や仕掛けがなされていました。
有名な話があります。
利休の屋敷の露地に咲き乱れる朝顔が美しいという噂を耳にした秀吉が朝顔の茶の湯を所望したところ、当日、行ってみると庭の朝顔はすべて引き抜かれていました。
秀吉があっけにとられながら茶室に入ると、床の間に見事な朝顔が一輪だけ生けてあったそうです。
誰も想像しないような奇想天外なことをする、エンターテイナーとしての人の楽しませ方に、戦国武将たちは惹かれていったのです。
自分にフォーカスする茶の席でマインドフルネスを
山田氏――戦に出る前に武将たちがお茶を飲んだ理由のひとつに、マインドフルネス的な要素もあったと思っています。
にじり口に刀を置き、一切の上下関係がない状態で、顔を揃えた武将たちが一盌の濃茶を回し飲みする。
誰かがそこに毒を入れたら死ぬわけですから、お互いを信頼していなければできないことです。
お茶席においては、亭主が心を尽くしてもてなし、客が感動で満たされたときに生まれる特別な一体感のことを「主客一体」や「一座建立」といいますが、戦で明日は死ぬかもしれない武将たちが、自分たちはやはり仲間だと心を通わせ一座建立を体感するための茶の席だったのではないでしょうか。
それはさらに、自分が自分にフォーカスするマインドフルネスの効果もあったはず。
そんな要素としてお茶は使われていました。
お茶は意識を作法に向けすぎるとマインドフルネスに到達できませんし、そもそもはエンターテインメントでしたから、厳かな場とか、作法を間違ってはいけないとかいったものではなかったと思います。
その後、茶の湯は「茶道」として型が確立されていきましたが、それは千利休の時代から後のこと。
だから僕のお茶席では、最低限のマナーの上でお互いの共通認識を持ち、自由なお茶の中からマインドフルネスにフォーカスしています。
▶茶道としての型が確立する以前、江戸時代のお茶席はエンターテインメントであり、マインドフルネスの要素も持つという大変興味深いお話がありました。続いては、山田さんがこれから展開を考える新たな「お茶席」について語ってくださいます。