「経営悪化をどうしても止めたい」「この人なら、何とかしてくれるかもしれない」。そんな思いから藁をもつかむ思いで、人づてに耳にした評判や知り合いなどのご縁でたどり着いた方々を33年間救済し続けてきた、ウィンコンサルティング株式会社 代表取締役 齋藤慶助氏へのインタビュー。HPを公開していないにも関わらず、問い合わせる人は引きも切らず、齋藤氏がこれまでに救済した経営者等の数は4,300人を超えます。経営コンサルティングと事業再生支援によって齋藤氏が解決したさまざまな体験談は、お困りの方に勇気と指針を示すと思います。大きな支えになる言葉の数々、ぜひご一読ください。
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お金の「回収側」から、困っている人を「助ける側」へ
Z-EN――齋藤さんは、経営コンサルティングと事業再生で多くの方を支援していらしたそうですが、これまでにどのくらいの方を救済されましたか。
齋藤慶助氏(以下、齋藤氏)ーー経営者や個人を合わせて4,300人以上です。
東日本大震災に関連した案件が増え、お客様による紹介客も増えたため、2011年くらいから相談者が急増しました。
その7割が経営者で、ほかはサラリーマンやOLの方が多いです。
顧問先は、コロナ関係の国の給付金がなくなり、コロナ融資金の返済が本格的に始まったことなどから最近急に増えて、全国で200社以上あります。
――今の仕事をするまでには、どんなことをなさっていましたか。
齋藤氏――30歳まで首都圏のノンバンクで、人事部、総務部、財務部を経て、(会社に代わってその事業に関する、裁判上又は裁判外の一切の行為権限を有する)会社法11条の支配人になってからは、債権者として裁判所に毎日通って訴訟活動を行っていました。
29歳の時、独立するきっかけとなる出来事がありました。
経営に窮し年配の保証人を連れて融資の依頼に来られた社長さんが、その2週間後に自殺したのです。
そこで保証人の方を相手に民事裁判を起こし、最終的に支払いを受けることができました。
その仕事について、たまたま遊びに来ていた父親に自慢気に話をしたのです。
父は、漫画「巨人の星」に出てくる父親、星一徹のように気性が荒く、正義感が強い人で、話の途中からだんだん顔が赤くなり、大声で怒鳴られました。
「そんな仕事はすぐに辞めろ!お前のおかげで、今度はそのおじいさんが家族や親戚から辛い目に遇わされたらどうするんだ!」と言われ、ハッと気がつきました。
法的に問題のない仕事だったとはいえ、世間的に胸を張って言える仕事ではないことに思いいたったのです。
だったら、これまでのノンバンクで借金を回収してきた経験と、お金を貸す側が持つ知識・知恵を逆に使い、困っている人たちを助ける仕事をしようと思い、1992年に30歳で経営コンサルティングと事業再生を目的とするウィンコンサルティング株式会社を設立しました。
白雪に種を蒔く仕事?でも、社会的に弱い人を助けたい!
――当時、30歳の若さで独立する人は少ない時代ではなかったですか。
齋藤氏――独立した1992年はバブルがはじけた年で、自分もまだ若かったし、宅建の資格も持っていたのでみんなに反対されました。
借金を抱える人を相手にして商売が成り立つわけがないとも言われました。
心配して占い師を紹介してくれた人がいたのですが、占い師曰く「これからやろうとしていることは、白雪の上に種を蒔くようなことだから絶対に成功しない」と。
確かにそうだよなと思いましたが、私は協調性がなく、みんなが右に行く時には自分だけが左に行くような習性があります。
そして何より、社会的に弱い立場の人を助けたい思いが強かったのです。
私は秋田県出身で、姉が高校生の時にスキーの授業で転倒し、頭を打ったことがきっかけで翌年に亡くなっています。
国立秋田大学教育学部に入りましたが、姉が亡くなった原因を追及したくて医学部に入り直そうと勉強したものの叶わず、最終的には経営者になろうと思い、30歳で独立しました。
だから、そういった自分の思いを貫くことにしたのです。
▶大きな気付きを得て、ご自身が借金を回収する側として身に着けてきた経験、知識と知恵をお困りの方のために使おうと強く決心された齋藤氏が、「新たな道」でどう事業を展開されたのか。次のページでは、全国にお客様を持つようになったきっかけや、コンサルタントとしてアドバイスしているポイントについて、お話しくださいます。