ピンチをチャンスに変える事業承継 (前編)”異業種への進出”

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中小企業のM&Aは今でこそ、事業承継の実現に活用されるケースも増えましたが、かつては「ハゲタカ」を代名詞に、会社が乗っ取られる、売り払われるという悪いイメージで捉えられがちでした。今回は、そんな事業承継の時期に積極的なM&Aを行ったことで会社存続の危機を乗り越え、見事事業リノベーションを成功させた、株式会社城南村田代表取締役社長の青沼隆宏さんにお話しを伺いました。まるでドラマを見ているような青沼社長の危機突破ストーリーに、目が離せません!

家業の危機と突然の社長交代

Z-EN――城南村田さんは創業から71年と息の長い経営をなさっているのですね!今はどのような事業をされていらっしゃるのですか?

青沼 隆宏氏(以下、青沼氏)――現在は、ギフト用菓子トレーを得意としている真空成形金型・トレーの専門会社をやっています。
もともとは、城南洋紙店という洋紙=印刷紙の卸売販売会社を、私の祖父が1949年に品川区で創業しまして、M&Aを経て現在は大田区に根付いています。

――おじい様が創業されたのですね!青沼社長は3代目ということですが、元々は何をされていたのですか?

青沼氏――日本の会計事務所に4年間勤務しましたが、退職して渡米しました。
アメリカで再度会計事務所に入社して3年間勤務し、2001年に帰国後、株式会社城南洋紙店に入社、現在に至ります。

――海外にいらしたのですね。どのような経緯で会社を引き継がれたのですか?

青沼氏――アメリカからは2001年1月に戻りました。
当時は、父が代表として会社経営を行っていました。
忘れもしない1月31日、当時最大の取引先が手形不渡りを出したんです。

8,000万円が焦げ付きました。
私は会計の仕事をやっていたんで、大急ぎで状況把握と再建できるかを3日間寝ずに考えました。
実は2月末には1億円足りなくなることが発覚し、本当に倒産ギリギリの状況だったんです。

仕入れ先の協力を得て、手形分割をお願いしました。
それから金融機関に一生懸命再建案を話して、何とかリスケを受け入れてもらいました。
仕入先からの受入れ条件が、父と私の代表交代だったのです。
2001年1月にアメリカから戻って、代表就任までわずか1年半でした。

再建後の快進撃とM&Aの幕開け

――すごい交代劇でしたね。大変なご苦労だったことと思います。

青沼氏――私は家業には携わっていませんでしたので、周りからは「紙のことも知らないくせに。すぐに倒産する。」と言われました。
ですが、2年で再建でき仕入れ先や金融機関への支払い含め、なんとか軌道に載せることもできました。

異業種への進出

画像:特許を取得した「かまたレンズトレー」。「かさなる(重なる)、まもる(守る)、たようと(多用途)」の頭文字と工場のある蒲田という地名を掛け合わせて命名した。(HPより引用)

――2年で再建ですか!!すごいですね。その後、さらに新しい事業を始められていますね。

青沼氏――はい。再建を手伝ってくれた金融機関の紹介で、トーマックという真空成型金型の会社に後継者がいないので引継ぎ先を探しているという話を受けました。
もともと会計事務所の出身なので紙もプロではありませんでした。
経営するという意味では紙も金型も同じではないか?と。

とにかく、紙の業界に危機感を感じていたので、新しい事業を模索していました。
そして、ゼロから立ち上げるよりも、引き継いだ方がいいのではないか?と、機械設備と人材の一切の資産を受け継ぐ形で、トーマックの株式を全株取得しました。

紙業界の厳しさに直面

――その後、さらにM&Aを進められていますね。

青沼氏――次に、近所に同じ紙でも板紙を扱うムラタ洋紙店という会社を銀行から紹介されました。
トーマック買収後にトレーを売ることが出来るようになりましが、営業面に課題がありましたので、包装資材である板紙ならば顧客へトレーを売ることも可能だろうと思いました。
印刷紙の未来は難しいだろうけど、板紙は箱になるし、物流業界の急拡大で箱の需要はこれからも増えるだろうと思いました。
しかも商圏が同じで、効率面やコスト面でも分があるだろうと判断し、まず営業権を買い取りました。

――確かに同じ商圏で同じ「紙」を扱うのであれば一緒になった方がよさそうですよね。

青沼氏――はい。そう思いました。
しかも、印刷紙業界は紙の種類にも拠りますが、印刷紙1キログラムを売っても利益が10円程度しかないことご存じですか?

――え??10円?それは、配送コストなども差っ引いた上ですよね?

青沼氏――いえ。10円の中から配送コストも出す感じです。
ですから、将来的にもこのままではダメだと思いました。
印刷紙に限らず板紙でもあまり違いはなく、紙業界は厳しい経営を余儀なくされていたんです。

城南洋紙店の再建を始めたときは、私はまだ若く社内の者は全員年上でした。
それで、若い社員を入れ始めたんですが、「この業界で将来飯食えるの?」と思うくらい将来を考えることが難しかった。
若手社員が将来結婚して子供を育てる・・・なんてできないのではないか
と改めて思い知らされたんです。
この時期に、どうにかしないといけない!と切実に思いました。

▶家業を承継し直面した業界の厳しさを青沼さんはどのように乗り越えたのか。次のページでは、事業の変革に挑戦した経緯と、再び直面した試練についてお届けします!

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青沼 隆宏
株式会社城南村田 代表取締役社長

投稿者プロフィール
大学卒業後、会計事務所へ入社。アメリカの会計事務所で3年間勤務後、株式会社城南洋紙店に入社し、2002年代表取締役に就任。
M&Aによる事業変革を経て、現在、株式会社城南村田 代表取締役社長。
事業承継、知的資産経営に関する講演多数
趣味は釣り(特にルアー・フライ)・キャンプ・自転車・整理整頓
株式会社城南村田HP
ブログ日刊面白半分~かまた発つながりニュース~
城南村田Facebookページ

モノづくりの街・蒲田の魅力を伝えるワークショップ(蒲田本町つながる学校)の定期開催など、地域活性化にも関わる。

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