エリアに面白みのある産業クラスターを産む(後編)

エリア価値を向上させリノベーションまちづくり事業をプロデュースする株式会社アフタヌーンソサエティの清水義次さん。前回のインタビュー記事「敷地に価値なし、エリアに価値あり」では、清水さんがこれまで携われてきたまちづくり事業と、そこに至るきっかけなどをお話しいただきました。後半では、SOHOまちづくり構想や家守(やもり)など、まちを再生するための具体的な方法と課題について伺っています。

清水義次氏のオフィスにて  Z-EN撮影

SOHOまちづくり構想

-前回は、表参道のブランド誘致を実現したまちづくりのご経験をお話しいただきました。その後も次々と“まちづくり”をされていらっしゃいますね!

そうですね。“まちづくり”をする中で、いろいろと気づきもありました。きっかけとなったのは、2003年3月に千代田区が提言した「千代田SOHOまちづくり構想」です。

民間のビルの空室を有効活用

-ちょうど、六本木ヒルズが建ち、都心部のビル供給が過剰になる「2003年問題」が懸念されていた頃ですね。

供給が増えると空きビルも増え、エリアの価値も下がる。ですから、民間所有のビルの空室で有効活用できることはないか?とみんなで考えました。そんな中、神田にある当時築46年の元蓄音機メーカーの本社屋2階105坪を借り受け、千代田区の東部地区に多かった繊維問屋などの産業資源を活かそうと、1,000万円投資してクリエイティブな人たちを呼び込む拠点を作るという計画が持ち上がりました。

神田をクリエイターの町に再生

-「今ある資産」をまさに生かしたリノベーションだったのですね。

ところが、いざお金を出す段階になると、みんなどんどん離れて行ってしまったんです。当時私はボランティアの立場で入っていましたが、これはやれると確信していたので、運営を引き受けることにしました。

105坪の空きフロアーは、スケルトンにして「REN-BASE UK01」という名の、クリエイターのSOHO Villageと会所(まちづくりの寄合所)にしました。2003年の神田祭の後、東神田でまちづくりに熱心なタオル問屋の社長さんと知り合い、エリア一体の空きビルを使ってアートイベントを一緒にやることになりました。セントラルEAST東京(CET)という名称で、初回は11月下旬に42か所のスペースで10日間開催し、テンポラリーなギャラリー街が生まれたのです。道路を閉鎖して路上パーティを行い資金源にし、最終日は薬研堀不動院前の路上に800人ほどを動員しました。居住者はお年寄りばかりの町です。こんなに人が集まったのは30年ぶりだよと当時の町内会長は泣いていましたね。アートイベントをつくり集客するのは難しいから、当時表参道・青山エリアで盛り上がっていたTokyo Designers BlockのセントラルEAST版として褌を借りて集客していきました。衰退一途の繊維問屋街で9年間CETを開催することにより、このエリアをクリエイターの町に生まれ変わらせていったんです。

産業クラスターの自発的創生

-イベントへの動員人数も毎年のように増えていったそうですね。

そうですね。CETは動員数も増え、3年目以降はコンテンポラリーギャラリーもどんどんできました。ビルの空室にクリエイターが集まり、それに引き寄せられてお洒落なカフェや雑貨店もできる。表参道に1992年~95年頃起きたことと同じような現象が起こってきたんです。こうしたクリエイティブな都市型産業集積が民間だけで生まれてきました。

持続させるための新たな課題と官民の連携

ところが、年月の経過とともに段々と“まち”の成長の仕方は変わっていくものなのですね。当時は純粋に、衰退していく繊維街を新しい違う形でクリエイティブな“まち”に変えたいという一つの目的で進んでいたんですが、3~4年と時間が経ってくると段々と変わっていく。当初の目的を知らない人たちがその場所でただお金儲けをしたいと集まってきました。

-“まち”に面白みがなくなったということでしょうか?

まちは活性化するけれど、どんなエリアになっていくかという方向性が次第に分からなくなってしまいました。まちづくりは民間の力だけでは限界があると痛感しました。行政とも一緒にやっていかなければダメじゃないかと。行政の役割は、まちを変える方向性を指し示していくことだと思います。新しいまちづくりは、行政と民間が連携してやっていく必要があると感じました。

家守(やもり)という仕組み

―“まち”の目的や想いを持続するのは難しいのですね。

千代田区では、その後の“リノベーションまちづくり”のポイントとなる、「現代版家守(やもり)」の仕組みを練り上げることができました。「家守」とは、江戸時代に地域をおさめた大家さんのこと。不在地主の所有する土地建物とまちの管理を兼ねていた、民間の職業で、役人と呼ばれていました。天保の頃の江戸の町は町人だけで60万人。武士と寺社の人口を合わせて100万人です。が、当時の行政機能である南町奉行所・北町奉行所には、合わせて300人程度しかお役人がいなかった。町人人口約2,000人に1人程度の公務員しかおらず、いかに少人数でまとめていたかが分かります。そこで活躍したのが2万人余りいた「家守」だったんです。

この家守制度から着想を得て「家守」の職能を現代に活かすことを想いついたわけです。家守がまちの差配人として不動産オーナーと一緒に“まち”を盛り上げるプロジェクトを作り、そこに参加してくる事業オーナーを繋ぐ役割を家守に担わせてはどうか?と。行政と連携しながら、民間主導型でリノベーションまちづくりが動き出すやり方を考えました。

リノベーションまちづくりで“まち”の課題を解決

―いよいよ、行政と民間が連携した、新しい”まちづくり”の展開ですね!

その頃私に声がかかる仕事は、その殆どが空き店舗や空きビルをただ埋めて欲しいという空き店舗、空きビル対策でした。そんな中でオファーをくださった北九州市は違いました。「清水さんのやっていることは、空きビル活用を起点として、“まち”が抱えている課題を解決することですよね?それを北九州でプロデュースしてくれませんか?」というものでした。私が今までやってきた“リノベーションまちづくり”の根本を理解してくれていたんですね。

折しも、民間だけで“まちづくり”を行うことに限界を感じていましたから、行政も巻き込みながら、民間主導型の“まちづくり”をするチャンスが来たと感じました!

北九州リノベーションスクールの様子

出典:リノベーションスクール

まちを愛し公共心を持つ事業者市民が先導役

―北九州の”まちづくり”はどのように取り組まれたのですか?

神田の“まちづくり”で学んだのは、まちを愛し公共心を持ち、継続する事業を実行できる人をしっかりと掴まえないとプロジェクトが動かないこと。

まずは志をともにしてくれる不動産オーナーをメンバーに迎えなければだめです。行政が検討委員会を作る従来のやりかたではなく、“まち”の中からしっかりした不動産オーナーを委員として選出し委員会を組成しました。

北九州では、リノベーションスクールという形で2011年から6年間やりましたが、みんなが“まち”のことを考えて活動し、大きな実績を残しました。このスクールで創出された起業者は200人を超え、新規雇用者も500人を超えていました。

志のある家守がプロジェクトの機動性を高める

―リノベーションスクールは北九州からはじまり、今は76都市に広がっているそうですね。

はい。昨年受講修了生が5,000人を突破したと聞きました。

地方から発せられる想いは一つなんです。でも一つのエリアが再生出来たからといって、他のエリアにそのままコピペできるかというとそうではない。地域資源も人的資源もそれぞれ違いますから、すべてローカライズが必要です。各地で志のある家守を育て、その家守を中心にプロジェクトを進める形で機動性を高めていけるようになってきました。

(左)「とりあえず」使われていた倉庫をペンキ塗りするワークショップの様子
(右)リノベーション後の現在「guest house MARUYA(静岡県熱海市)」
※画像は、全国のリノベーションプロジェクト「ReReRe Renovation!」より引用

公民連携事例「オガールプロジェクト」

―今も岩手県の紫波町での“リノベーションまちづくり”に取組んでおられるそうですね。

紫波町(しわちょう)は東西30㎞、3.3万人のうち中央の平野部に三分の二の人口が集まる“まち”です。奥羽山脈と北上山脈の間の典型的な人口減少・高齢化が進む過疎地域でした。奥羽山脈から質の良い水が流れ、南部杜氏が集まる酒造りの土地でもあります。

この“まち”は、13年前に開始した、「オガールプロジェクト」で一躍注目を浴びています。プロジェクトは、長らく使われていなかった10.7haの町有地を公民連携でまちの中心にするものです。計画当時、私は東洋大学の大学院で公民連携の講義を行っていて、紫波町と一緒に行ったのが、このプロジェクトです。

オガールプロジェクトはうまく運んで完成し、まちの人口減少が止まり、高齢化率も下がり始めました。しかし、まちの東西にある山際エリアは過疎化が進み、2022年3月末までに7つの小学校が廃校になります。今度は廃校を活用して、紫波町の地域創生を更に進化させるために、高校生および社会人を対象に一緒に体験学習スクールを始める予定です。産業の持続と地方創生のための人材育成はこれからの日本にとって大切なことですから、これに注力していこうと思っています。

不動産の活性化で産業クラスターを産む

―最後に、アフターコロナのエリア開発をどのようにご覧になりますか?これから不動産をやってみたい、もしくは遊休不動産を活性化したいと思っているZ-EN読者にアドバイスをお願いします!

コロナ禍の影響は大きいですね。働き方、住まい方、遊び方が全国で変わってきています。自然の中のグランピングやキャンプ場が人気を集め、まち中では屋外の公共空間の使い方が大切になってきました。東京では、少し都心を離れた住宅街で空き家や空き地がポコポコ発生するスポンジ化はいたるところに現れていますが、都心から近いところにも家賃が陥没する地帯がたくさん出ています。コロナ禍ではそういった面白いエリアが一層広がっているのです。

こういう変化する時期はチャンスです。衰退地域の中の半径200m、端から端まで徒歩で5分程度のスモールエリアを、キャラクターを持った面白いエリアに変えていくことを仕掛けていくと良いと思います。

遊休化した不動産を活用して、何をやりたいの?ということが大事です。不動産の事業でありながら、そのエリアで産業のリノベーションを行ったり、人と人がより良い関係を持てるコミュニティをつくったり、若い人材を育てたりしていきたいと思っています。

清水義次
株式会社アフタヌーンソサエティ 代表取締役
建築・都市・地域再生プロデューサー

投稿者プロフィール
東京大学工学部都市工学科卒業後、教養学部アメリカ科学士入学
アフタヌーンソサエティを設立
建築・都市・地域再生、家守事業等のプロデュースを手がける。千代田区神田、新宿区歌舞伎町で現代版家守によるまちづくりを実践。その後、北九州市小倉魚町でリノベーションまちづくりの指針となるエリアヴィジョンづくりやまちを変えるエンジンとなるリノベーションスクールの仕組みを構築する。以降、全国の仲間とともに縮退時代に適合したまちづくり、人々の健康で幸せな暮らしを支える地域づくりを行っている。
♦︎株式会社リノベリング代表取締役
♦︎一般社団法人公民連携事業機構代表理事

この著者の最新の記事

関連記事

編集部おすすめ記事

年別アーカイブ

ページ上部へ戻る