老子に学ぶ、現代社会思考~若者に見る固執しない生き方
- 2021/8/23
- コラム
今回からは、世俗を超越した考え方を持ち、常にその対極にある孔子と比べられてきた老子の教えから現代社会を概観してみたいと思います。ナビゲーターは、一般社団法人数理暦学協会の代表理事 山脇史瑞氏。第1回目は、老子の考えを通し、私たちがこれから向かうべきはどこなのかを考えるきっかけになる「人の道」についてです。
老子的な現代の若者思考
仕事よりプライベート、
高い給与より「やりがい」、
出世より社会貢献、
断捨離、ミニマリストなど、
物質社会から距離を持つ現代の若者思考は、
極めて老子的である。
道の道とすべきは常の道にあらず。
名の名とすべきは常の名にあらず。
無名は天地の始め、有名は万物の母なり。(道徳経 第一章)
老子の考え方を哲理とした東洋思想「道教」の代表的書物「道徳経」は「道徳真経」ともいい、81章で構成されます。その第1章は、老子の思想を総括する最も重要な章と言われ、「人の道」について説かれたものです。「道教」は、孔子の説く「儒教」と対照的であることから、常に比較の対象とされてきました。
「これこそが道だ」と
言葉で言い表すことが出来る道は、
絶対不変の道ではない。
これこそ仁だ、愛だ、志だと、
名付けることの出来るものは、
絶対不変の概念ではない。
言葉で言い表すことが出来るものは、
相対的なものであり、変化するから名をつけている。
相対的なものは、
時間の推移、
状況の変化、
立場の違いにより変化する。
我々が今まで追い求めてきたもの
金銭や地位や名声などは、
人が作り上げた相対的なものだ。
そのため、状況や立場が変わると、
その価値は変わってしまう。
我々は、今まで、そのような不安定なものを求めて、
切磋琢磨してきたのではないか。
その不安定さに気づかないまま、
今まで信じて疑わなかった道が変化すると、
どうして良いのかわからなくなり、
道に迷う。
既成価値観の大変革期である今、
多くの人たちが迷っている。
共感力ビジネス考
人は誰もが幸福でありたいと願う。
これは、孔子も老子も、
古代人も現代人も、変わらない。
違うのは、幸福の内容と、
それを獲得する方法である。
孔子の教えに沿うように、
お金・地位・マイホーム・自慢の家族などを
幸福の条件とし、
それを得るために、
勤勉で道徳的な人間にならねばならないと、
理想を背負って頑張ってきた。
しかし、そのような人々を見て老子は説いている。
その重荷のために足下がふらついて、
人生において最も大切な道を
見失っているのではないかと。
最も大切なものは、
深淵の更なる深淵にある何かである。
言葉で言い表すことができないものであり、
地球環境や大自然、
宇宙など漠然としたものかもしれない。
この言葉で表すことができない世界観を伝えるのに、
大切なのが「共感力」だ。
「共感力」は、
金銭や名誉など既存概念で結びつけると、弱まる。
従来の手法で解析し、
人工的に行おうとすると失敗する。
玄のまた玄衆妙の門なり。
老子の無の哲学を基に、有無が渾然とした世界を「玄」とし、玄は「玄関」の意味ですが、「玄のまた玄」は夜空のような限りない深さを示し、そこから万物が生まれてくると説かれています。
深淵の更なる深淵にある概念であり、
不変の何かであることだけがヒントだ。
漠然としているからこそ、
多様化する価値観を受容し
発展させることができる。
孔子から老子の世界へ、
今の若者達の傾向を紐解く
一つのヒントではないか。
老子(ろうし)は、今から約2500年前の戦闘動乱期、中国春秋時代における哲学者です。後世に諸子百家と呼ばれるようになった哲学思想集団のうち、道家は老子の思想を基礎としています。後に、老子を始祖に置く道教の教えを書き記した「道徳経」は、先人の金言が徐々に集積されたものなどの諸説が存在しています。
出典:東洋古典運命学「老子と学ぶ人間学①現代若者考」
この記事は著者に一部加筆修正の了承を得た上で掲載しております。