人生100年時代 いくつになってもチャレンジあるのみ

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シニアの就業機会を確保しようとする社会全体の流れのなかで、自ら新たな挑戦をし続け、2020年度の社会労務士資格試験に最高齢で合格された川中凱雄氏。
現在79歳の川中氏はオリックス副社長を退任後、大学教授などを歴任されてきましたが、インタビューのなかで、何事もチャレンジしようとする意気込みと面白がる気持ちが大切だと語られています。
人生を100年として捉えると、現職をリタイアした後もまだまだやれることがたくさんあると気付かされるお話が満載です。

目標を決め挑戦する楽しさを体験

Z-EN――2020年度「社会保険労務士試験」の合格おめでとうございます!
難関資格で例年6%程度の合格率と聞いています。チャレンジ精神、本当にすごいです。

川中凱雄氏(以下、川中氏)――ありがとうございます。
78歳での社労士合格は2020年度の最高齢だそうで、いろいろと注目されましたね。

――川中さんは、オリックス副社長、帝京大学教授などを歴任していらっしゃいますが、社労士資格を取ろうと思われたきっかけを教えてください。

川中氏――数年前に高校時代の友人に頼まれて、介護ロボット機器製造会社の立ち上げを手伝いました。
その時に出会った若い社労士さんとの縁がきっかけで、私が今まで経験したことのない労働や年金といった新たな分野の勉強にチャレンジしてみたくなったんです。

年齢的にボケ防止にも役に立つかなと思いましてね(笑)。
若いころに比べて覚えるのが大変で、途中やめようかと思ったこともありましたが、目標を決めて勉強することは楽しかったですよ。

顧問先のWeWorkにて Z-EN撮影

チャレンジ精神で人生を豊かに

――今後は社労士としての活動も展開されていくのですか?

川中氏――今の数社の社外取締役としての活動に加えて、今後は士業と一緒になって中小企業に役立つようなサービスを開発できたらと思っています。
資格を取るきっかけとなった若い社労士さんとも一緒にセミナーを開催したりしていますが、私の今までの経験やノウハウをどんどん使って役立ててもらえればいいという考えです。

前職のオリックスでは、その時々の時代に合わせて、どんどん変わっていかなきゃいけない、そして、いつでもチャレンジ!と良く言っていましたね。
人それぞれの人生観があるから、「どうせー、こうせー」言わないけど、私はチャレンジしないと「何してんや?」と思ってしまう。
今までの実績やら副社長だったとかいう肩書などに拘らずにチャレンジしていこうと思っています。

歯に衣着せぬ率直な性格

――明るくチャレンジングな川中さんですが、どのような子ども時代を過ごされたんですか? 

川中氏――私は大阪西道頓堀の生まれで、疎開して、四条畷市にある南北朝時代の南朝の将、楠木正成の子供、楠木正行まさつらが戦死した飯盛山いいもりやまにある、四条畷高校の出身です。
その高校のモットーが「質実剛健」で、私も割とそのタイプですよ。
(誰もうなずいてくれませんが・・・)

父が米屋の2代目で戦後も苦労したので、私も小学生の時から年末には米の配達を手伝うような子ども時代でした。
あまり仲間でベタベタしない性格で、言いたいことをバンバン言うんで過去には失敗もしていますが、周りにいる人たちに恵まれましたね。

四条畷神社からの景色(https://www.photo-ac.com/)

面白そうだから決めたオリックス入社

――オリックスにご入社される経緯はどのようなものだったのですか?

川中氏――最初はユニチカの経理で予算計画を作っていて、営業も5年ほどやりました。
その後、先輩の勧めもあって新天地を求めて就職活動したなかで、いろいろオファーもありましたが、最終的にオリックスの前身、オリエントリースに入社しました。

当時はすでに大阪市場で上場していましたが、全然知らなくて、ある銀行に行ったときに、たまたま居たオリックスの女性を追いかけてどんな会社なのかを聞いたこともありましたよ。
いろいろな人に話を聞いて面白そうだと思いました。

入社して2年目に、給料アップについて説明をしてほしいとの紙が回ってきた。
左肩に判子を押す箇所が空いていて、判を押してよと言われて、押しました。
すると、労働組合設立の推進の責任者とみなされてしまったんです。
正直言えば、今迄のような労働組合の役割はもう終わっただろうと思っていました。
私としては、説明を求めることに同意しただけなんですけどね。

でも結局、判子を押した責任として、北九州支店に栄転となりました(笑)。
急遽赴任すると、その後のオイルショックで北九州の契約の7割くらいの会社が倒産する事態になりました。

4人で営業所の営業から回収まで全部やっていた時期です。
会社には損をさせてしまいましたが、オリックスは事故を起こしてもクビにしない、懐の深さがありますね。
まあ、めげずに必死に回収はしていたので、それが評価されたのかもしれません。
前CEOの宮内さんは、契約して営業できたではないんや、回収までできて営業やと、何度も言っていましたね。

クイックリースの仕組作りに貢献

――その後もオリックス内で革新的な仕組みを作られたと聞いています。

川中氏――その後、情報通信分野の部署に移動すると、当時の課長と気が合い毎晩飲み歩き将来を語り合うようになりました。
その人が細かいデータを取るのが好きで、小口のOA機器リースの高い収益性を見出し、そのうち全国にも広げ始めるんです。

一度不良債権の大量発生で頓挫しましたが、OA機器への需要は右肩上がりで、素早く対応できるクイックリース(以下、OQL)の仕組は広がると確信していましたので、OQL拡大に再チャレンジするというトップの意向を実行することにして、手を挙げました。
私の好き勝手やらせてもらうことを条件にやる!と言って、全国に広めていきましたね。

当時のOQLを活用されたOA機器・通信機器販売会社さんが発展され、上場されているのも嬉しいですね。
また、バブル崩壊後の資金不足の時に、オリックスは体力があり、営業権の買収、リース会社レンタル会社の買収に取り組み、国内でのM&Aの先鞭をつけましたよ。

▶実直でチャレンジ精神旺盛な川中さんのお人柄がよくわかりますね。次のページでは、オリックス退社後、さまざまな分野でご活躍の川中さんが考える組織づくりについてお話を伺います!

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川中凱雄
社会保険労務士法人さくら労務 代表社員

投稿者プロフィール
社会保険労務士法人さくら労務の代表社員、株式会社さくら経営の社外取締役、元オリックス株式会社副社長、元帝京大学経済学部教授、元一般社団法人日本エステティック業協会理事長と様々な役職を歴任。
令和2年度 社会保険労務士試験 78歳で最高齢合格を果たす。
2021年10月より現職。他社の社外取締役としての活動も行う。
バイタリティ溢れる人柄で中小企業の維持発展のためにチャレンジを継続している。

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