人生100年時代 いくつになってもチャレンジあるのみ
- 2021/9/22
- インタビュー
目次
退職後は新しい分野で活躍
――まさに、その後の中小企業マーケットの拡大に繋がっていくのですね!オリックスご退職後についても教えてください。
川中氏――67歳でオリックスを退職した後、帝京大学が関西出身で実業経験のある人を探していると、知人から話が持ち込まれました。
私は頼まれたらやりたいタイプ。
それで、経済学部の教授として教鞭を取ることになりました。
苦労しましたが、自分自身で授業設計をして、生徒のレポートも全員分しっかり読んでいましたよ。
面白い経験でしたね。
その後、日本エステティック業協会という、業界大手から個人事業主までが加盟する協会の理事長に就任して5年やりました。
5年目の最後は、組織としての在り方論で、1票差で理事長を解任されてしまいましたよ。
業界で事業をしていない、損得に関係のない人間だったからね。
卒業大学の実業人の集まりの会の世話人代表もやった繋がりで、大阪市立大学の産学官連携アドバイザーに任命され、連携を推進する活動なども行っています。
互助の気持ちで関る私流人脈づくり
――様々なところからお声がかかる印象です。
川中氏――私は日頃から、ビジネスもゲーム、面白くやろう!ゲームだから勝とう!と皆に言っています。
そして、自分と感覚が合って共感できる面白い人がいないかなと気に留めていますね。
私にはあえて人脈を作ろうという感覚はないんですよ。
一緒にやっている人が何かにチャレンジしていて、助けを求められたら助けたいと思うし、逆に自分を使ってくれればいいという感覚です。
――オリックス時代は人情味にあふれていらして、川中さんに助けてもらったという人の話を同僚、諸先輩から沢山聞きました。
川中氏――人にはそれぞれの持ち味があるし、人それぞれ得手不得手は違います。
だから私は人を抱え込まないし、選ばない。
営業ができないからOQLの営業課長をやめさせると言う話が上司から持ち込まれたときも、OQLの仕組み、その人の処遇などを考えて、偉そうに、「僕を辞めさせてから辞めさせろ」なんて言ったこともありましたね。
中小企業の組織論
――そんな川中さんから見て中小企業の人材についてどう思われますか?
川中氏――中小企業にとって人を選べる範囲は狭いかもしれない。
だから、人を従業員ではなく仲間だと思って、成長を促しつつ共に成長するというスタイルがいいと思います。
そして、組織のなかに定着して、組織の理念に共感して一緒にやってくれる人が必要だと思うんですね。
経営にはリスクがつきものでいつ潰れるかわからない。
だから起業家は我儘でバイタリティがなきゃやっていけない。
でも、我儘の度量をどこまでコントロールできるかが次のステップに進めるかどうかの分かれ道でしょうね。
トップで人の話を聞かないケースも多くある。
そうすると右腕となる人が育たない。
オリックスの宮内さんは人の言うことは聞く人でしたね。
ちゃんと的を射ている進言なら、自分の前言を撤回することもありました。
聞く度量のある人はやっぱりスケールが違うんです。
―そして、中小企業を中心に、税理士・社労士などの「士業」としてのコンサル、申請業務サービスをまとめて提供する「SAKURA United Solution グループ」の社外取締役および社会保険労務士法人さくら総務 代表社員への就任おめでとうございます!
常にチャレンジする川中さんからは、目が離せませんね。
本日はありがとうございました。