Artラボ~奥能登「珠洲」のいま~ヤッサ―プロジェクト活動報告
- 2025/5/19
- 事業投資
目次
第2期ー復旧が進み明るい兆しが見えたとき豪雨の2次被害に
一時の混乱から少し落ち着いて4月以降、復興に向けた計画を作る動きも出てきました。
この頃、新聞で報じられていたのは、ボランティアに来てくださいという報道。
この頃には片付けなども始まり、人手が足りなくなっていました。
5月になってもまだ断水が続き、ボランティアなどの人手も足りない。
この時点で被災から半年経っていますが、公費解体は0.6%という状況です。
この後、夏になって、家の前の道路まで水が来ても各家の中が漏水していて、断水が解消したと言われる地域でも家で水が使えない人がかなりいる状況でした。
公費解体は、まだ4%程度でした。
能登の夏の風物詩であるお祭りも、やるかどうかの議論があったんですが、こういう機会だからこそやろう!という思いを持った人々が頑張って能登町では「あばれ祭り」が行われました。

能登の夏が始まった。巨大な灯籠舞うキリコ祭りの先駆け「あばれ祭」(出典:能登町観光ガイド)
ようやくのと里山海道も全面開通し、仮設住宅の入居者も増え、少しずつ復興のムードが出始めたという感じです。
9月、「道の駅すずなり」に4つの飲食店が集まって合同でレストランやることになり、仮設食堂を始めました。
のと鉄道の語り部列車も復活しました。
ようやく観光に向けた復興ツアーが出始めたところです。
このように少しずつ明るい兆しが見えてきた頃に、奥能登での豪雨があって、2重災害と言われていますが、さすがに心が折れたといったコメントが多かったです。
休眠預金活用事業による「サポートスズ」の再起動
4月頃、復旧・復興に必要な資金源として休眠預金を活用した助成金があると知って申請しました。
2024年5月「サポートスズ」が休眠預金活用事業に選ばれ、スタッフの雇用を再開できました。
そのようななかで、地元の人たちの集まる場づくりも可能になってきました。
シアターミュージアムがある大谷地区は、土砂崩れでアクセスが非常に厳しい場所になってしまったので、レストランで食事ができる、避難所以外で集まりを開くことができると、地元の人たちからはすごく喜ばれました。

「ちゃべちゃべサロン」
あみだ湯、潮騒レストラン、ガクソー金沢支店で、月1回程度語り場をつくる。
「おしゃべり」という意味の地元の方言「ちゃべ」。
「ちゃべちゃべサロン」では、どういう復興に向けて何が必要かといったことを月1回ぐらいずつ3か所で集まりを開いて語っていました。
下の写真は、8月、夏の潮の香りを満喫しながら踊る「砂取節まつり」の様子です。
神輿に使われているのはサザエです。
サザエはこの地区にとって重要な存在で、震災で孤立して食べ物がないときにも、隆起した海岸にサザエがいっぱいあって、それで食いつないだそうなんです。
だから、このサザエの殻は捨てられなかった。
それを知ったアーティストが、それらを丸ごと使ってお御輿やキリコをつくりお祭りを彩りました。

村尾かずこさん 砂取節まつりへ参加
その他にも、さまざまなアーティストが支援してくれています。
エベレストを含む数々の山を制覇した写真家として有名な石川直樹さんは、奥能登芸術祭にも参加してくださっていましたが、能登の写真をポスターにして販売して寄付してくださいました。
弓指寛治さんを初め、珠洲の芸術祭に関わったいろんなアーティストが作品を販売して、その売上を寄付してくれています。
あと、「あいの風プロジェクト」のチームで芸術祭で演劇をした俳優の常盤貴子さんや、シアター・ミュージアムの「光の方舟」の作曲を担当した音楽家の阿部海太郎さんが、炊き出しなどにも来てくださっている。
NHK Eテレ「にほんごであそぼ」のセット衣装を担当しているひびのこづえさんは、自分で資金を集めてダンス公演を企画しました。
その他にもアーティストが色々な形で関わっています。
奥能登豪雨の被害

2024年9月21日の奥能登豪雨による被害
そういう明るい兆しが見えはじめたところに奥能登豪雨が発生しました。
大谷地区は崖が崩れて川の濁流で家が流され、地区によっては1階部分が土砂で埋まってしまったところもあります。
レストランもせっかく開業したのにまた水が使えなくなり、休業しました。
シアターミュージアムには再び自衛隊の人たちが駐屯して、この大谷地区の水の給水などをやっていました。
▶地震に加え豪雨の被害が大きな負担となるなかで、どのような復興を目指すのか。次のページでお届けします。