Artラボ~奥能登「珠洲」のいま~ヤッサ―プロジェクト活動報告

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第3期―震災を忘れないために記録を集める

奥能登豪雨の水害を受けて、10月以降、立て直しが必要になりました。
この頃は、ボランティアセンターが行政だけではなかなか手が回っていないため、被災者自身で民間のボランティアセンターを開設する動きがあること等が報じられていました。

珠洲の隣の能登町では、震災遺構を保存しようとする活動が始まりました。
奥能登珠洲ヤッサ―プロフェクトでも、復興の歩みを定点観測するなど、震災後の珠洲を知ってもらえるようにしたいと考えていました。

支援のネットワークを広げたい

2024年12月31日で被災からほぼ1年が経過していますが、「進捗を感じず」という回答が60~70%。
再生を支える輪をもっと広げなければいけないと、メディアでも報じられています。

翌1月になっても、観光業や商店などの事業再開が6割止まりです。
食料品が買える店がなくなると、高齢のおじいちゃん、おばあちゃんは買物ができなくなってしまいます。

ただ、今はすごい人数の解体業者が入って来ていて、朝のコンビニには海外から働きに来ている人もいっぱいいます。
日銀が景気判断を上げ、能登の復興需要で景気が上がっているといわれています。

また、使える旅館や家屋が少なく、高額で家屋を借りる業者も多いようです。
都市部から遠いこと、需要が集中していることもあり、建設費が高騰しているようです。

このような状況下で、僕らは支援者の拡大を目指し、11月に東京の「猿楽祭」で奥能登国際芸術祭ゆかりのアーティスト59組の協力を得て「奥能登珠洲復興支援アート販売会」をやりました。
ここで、アーティストの作品を販売して、復興プロジェクトに使わせていただいています。

地域住民が語る奥能登バスツアーを企画


現地のサポートスズでは、今、旅行業を取得して、地域の復興に関われるツアーの準備をしています。

あとは、地元の語り部です。
元々、芸術祭でも、地区の人たちがガイドしてくれていたバスツアーが非常に評判良かったので、今回の震災のことも含めて語っていただくガイドも準備しています。

先述したヤッサープロジェクトによる震災の記録を残す奥能登アーカイブでは、各地区のいろんな動きを日を追って同じ場所から撮影したり、地区の方々の今を定期的に取材したりする定点観測のコンテンツを設けています。
また、空き家を1戸使って、映像や写真などを通して震災前の珠洲も含めて感じられる展示をしようとしています。

2024年5月(左)と2025年1月の飯田地区商店街(「市内 10 地区の定点観測」より)

地域が描くまちの方向性に寄り添う

活動の軸として3つあって、第1には、珠洲の今を知っていただくこと。
次に、復興の歩みに関わっていただくこと。
3つ目は、コミュニティの再建を手伝うことです。

震災から1年経って、ようやく珠洲市でも奥能登国際芸術祭のウェブサイトを動かしていきたいという話が出てきています。
シアターミュージアムを開けたり常設作品を開けたりして、ツアーなどを受け入れようとしています。

シアターミュージアムがあった大谷地区は、水害も含めて2重の被害があったので今も厳しい状況ですが、徐々に少しずつ前向きな人たちが出始めて、外の人と交流していきたいと、2025年年明けの冬、大谷合宿という、復興についての可能性を探る1泊2日のツアーも企画しました。
他のいくつかの地区では、まちづくり計画のための絵を描いてほしいという要望もあります。
お年寄りから若者までいますけど、なかなか言葉だけでは通じないという時に絵を描ける人がいるといいなということで、アートに関わる人たちが絵にしてコミュニケーションの仲立ちをしています。

その他の課題としては、先述の130年分のごみである廃材を生かせないかとか、3分の2もの空き地となった場所を活かせないかとか、残った民家をどうするかとか。
復旧はできたとしても、その先の復興への財源確保も課題です。

震災後に感じることは、コミュニティの強さということ。
地震直後の正月の時は、おせち料理をみんなで持ち寄って集会所に集まり、それがなくなったら、海に行ってサザエなどを採って食いつないだ。
そんなふうに、孤立しても支えあって生きていける力を珠洲の人々から学びました。

Z-ENーー関口さん、珠洲に心を寄せる方々にとって、とても関心の高いお話をしていただき、ありがとうございました。復興へのさらなる支援が必要なのだと痛感いたします。珠洲のみなさまが安心して暮らせる日を一日も早く取り戻せるようお祈りするとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

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関口正洋
株式会社アートフロントギャラリー

投稿者プロフィール
1974年神奈川県生まれ。
金融会社勤務を経て、1999年にアートフロントギャラリー入社、大地の芸術祭参画。
2003年から越後妻有のマネージャーとして文化施設の企画および運営に携わり、文化・芸術を活かした地域づくり組織NPO法人越後妻有里山協働機構を立ち上げる。
2015年から奥能登国際芸術祭プロジェクトマネージャー。

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