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紆余曲折を経て起業
――みなさん、人と人との関係には興味があるのですね!さて、サイトの方はどうなったのですか?
金氏――大事なサイトはどうなったかというと、99年に1年かかってようやく完成しました。
完成を機に、私は友人の意中の彼女が見つかるように!と言い残して、サイトから離れ学業に戻りました。
ところが1か月後、大事に作ったサイトのサーバーが全てダウンして繋がらない状態になっているという連絡を受けたのです。
原因は、韓国の国営放送でサービスが取り上げられたことにありました。
2000年前後は、ADSLが常時接続の基盤に使われるようになり、インターネットは莫大に使われ各種サービスが提供されるようになっていました。
サービスの中には浮気や不倫の温床になるようなサービスがあるという特集に、不本意にも私の作ったサイトが全面的に報道されたんです。
これをきっかけにアクセスが集中。
サイトが使っていた大学のサーバーが全てダウンしてしまう事態になっていました。
ソウルで運営を続けていた友人に、もう諦めようと提案しましたが、まだ彼女が見つかっていないからやめられないと即断。
どうしたら続けられるかと奔走したところ、運よく出資者が現れ、友人3人で共同出資し会社を立ち上げることになります。
再会したい人を探せるサイト
――面白い展開になりましたね!サイトはうまくいきましたか?
金氏――誰にでも、人に再会したい願望があることが反映されたサイトでした。
当初は人探しに来るのみで、自分は露出したくないとなかなか登録してくれませんでした。
しかし、サイト上で人を探した時に「ヒットしませんでした、以上」と、空しい結果にならないように、「連絡先を残してくれたら、探し人の登録があったときにはこちらから連絡します」と一言加えたことをきっかけに状況が一転。
1日1万人が登録され、2年程度で1,600万人の人が利用する人気サイトに成長しました。
時代の寵児と呼ばれて
一方、私は学生で博士論文を書かなければならない身分でもあったので、日本にいながら週一でソウルとを行き来し、CTOであり開発者として関わりを続けていました。
気づけば、部屋の端っこにあった小さな仕事スペースがいつのまにか一つの自分の仕事部屋になり、秘書がつき、空港に車が迎えにくるようになっていました。
これは、たった1年で起こったことです。
ついに、商業サイト・コミュニティサイトとして、構想から3年で世界で初めて1000万人登録者を集めるに至りました。
バナー広告も年間単位で飛ぶように売れ、1週間で年間売上となる数億円を集めるまでになり、人を増やし、投資先を探しました。
2002年には大統領賞もとり、韓国では私たち創業者3名は時代の寵児と呼ばれる存在になっていました。
サイト構想のきっかけとなった、友人の意中の彼女も250万人目に無事に登録してくれ、その時とばかりは電光掲示板に掲げて大盛り上がりのお祝いでしたね。
無事に目的は果たせました(笑)
果敢に新規事業立ち上げに挑戦
――すばらしいですね。
ただその後、同窓会サイト登録者がオフ会をやるようになるにつれ、サイト自体は残念ながら下火になっていきました。
私はその後、海外大学でポストドクター、国内大学で講師を経験しましたが、NHNジャパンという会社に誘われソーシャルメディアを新規に作ることに興味が移り、大学研究者の道を断ちました。
いろいろと事業をするなかで、最初は、オンラインゲームをしていましたが、実は一番使われていたのがゲームではなくメッセンジャー機能だったということがわかったんです。
メッセンジャーの機能から、ユーザー同士の動向の分析に基づき、SNSの新規事業に関わりましたが、韓国本社とのサービスコンセプトの認識の差で退職し、地域コミュニティ構築を考えていたライフル社(当時株式会社ネクスト)にエンジニアたちと一緒に合流しました。
その会社の上場に貢献し、その後自身でも上場を目指す会社を作ろうと、2008年に「リンケイジア」を立ち上げます。
繋がる研究をずっとやっていたので、リンケイジにアジアを掛けて社名にしたんです。
この会社では、ソーシャルメディアを立ちあげ、ソーシャルマーケティングを進めていきました。
非常にうまくいっていて、大手百貨店や生活協同組合などのコンサルをして、ソーシャルメディアを立ち上げていきました。
そんななか、興味関心の深かった教育事業にも着手し、「東大ノート」というサービスも2010年に立ち上げています。
効率よく入試を乗り切る「東大ノート」
――いろいろとチャレンジされますね。「東大ノート」とはどんなサービスだったのですか?
なぜ東大に入りたい人のなかに、入れる人と入れない人がいるのか?というのがテーマです。
勉強ができる人は試験への対応がうまく、試験に出る箇所に強弱が付けられるのだろうと仮説を立てました。
できない人は、強弱なしに全部やりパフォーマンスが落ちているのかもしれない。
そこに成績の差ができるのだろうと思ったのです。
試験がうまい彼らがどこに目をつけて、どこに重きを置いているのかを見出すには、彼らのノートを見ればわかると思い、東大生のインターンを集めて200人のノートを全部スキャンしてデジタルに置き換えて10万円でサービス提供しました。
コンセプトは面白かったんですが、なにせ全部見られて10万円ですから収益性が弱かったですね。
ちょうど、2006年のリーマンショックと重なったこともあって資金不足に陥り、これはうまくいかなかったですね。
震災後、事業譲渡を経て
――その後、急転直下でシンガポールに本社を移されましたね。
そうですね。2011年の3.11がきっかけです。
社員を全員集めて話し合い、半分ぐらいが韓国のエンジニアだったので、家族を守るために帰りたい人は帰らせて、さらに本社機能を別の国に移そうと決めたのです。
早速1か月後にシンガポールに行ったところ、シンガポールはソーシャルマーケティングにも需要があると踏んだことと、今後ファイナンスにも力を入れていこうと決めたことで、2021年本社をシンガポールに移しました。
これを機に、日本にはマーケティング拠点としてのオフィスを置いたまま、韓国をエンジニア拠点としたリンケイジアホールディングスを設立することになります。
シンガポールでのソーシャルマーケティングはうまくいっていたのですが、日本の事業は縁があった大手情報サービス会社に事業売却することになりました。
自分の会社で上場を経験することは叶いませんでしたが、この会社の子会社10社ほどを全部私が掌握し、本体の既存事業や新規事業もすべて決められる立場にありましたので、いろいろと事業投資を進めて面白い経験ができましたね。
その後、自身の研究テーマであった人と人の繋がりを事業化する夢を果たすべく2020年9月に退任させてもらい、現在の株式会社Yagishの設立に至ります。
いよいよYagishが始まります。後編「人の動きを可視化するサービスでより良い社会を」では、Yagishの構想とサービス内容をお伝えします。