「人生三分割」の極意 人生最終章の起業!
- 2021/6/30
- インタビュー
人生を、「学習」「実践」「総括」という3つの章で捉えた場合、最後の章は自分へのご褒美と言えるかもしれません。趣味でも仕事でも、好きなことに使えることは幸せですが、より積極的な貢献で社会と関わってはいかがでしょう。後進を育成して前の2つの章での借りを返すのです。しかし、環境の変化が激しい世の中、自分が受けた育成方法では若い人にうまく機能しないなど、かつて培ったものだけでは通用しないこともでてきます。一般社団法人新潟スモールM&A協会代表理事の鈴木浩一さんは、事業経営・譲渡を経て60歳の時に大学で学び直したのち現在の協会を立ち上げました。スモールM&Aを通じて中小企業の力になりたいと語る鈴木さんに、老後ではない人生の最終章を創造する極意について伺いました。
第一章で世の中に役立つことを学ぶ
――「人生三分割」とは聞きなれない言葉ですが。
鈴木氏――そりゃそうでしょう。
私も聞いたことがありません(笑)。
何でも3つ程度に分けると物事が分かりやすくなります。
まさか、この年齢になって新規事業を立ち上げるとは思っていませんでしたが、使命感に駆られました。
人生を三分割したら、現在はその最終章。
これまでの経験を生かして、中小企業のために後継者不足の問題に取り組みます。
――人生三分割 第一の章を教えて下さい。
鈴木氏――人生最初の三分の一は、親にお金を出してもらって勉強する時期、人間としての土台作りです。
大いに遊び、大いに学ぶ、をモットーに楽しい時を過ごしました。
商業高校で会計学を学び、会計簿記の2級を取得。
冬は新潟の雪山をスキーでガンガン滑り、夏は太陽の下、スポーツに励み国体(バレーボール)にも出場しました。
危険を承知で、台風で増水した川を友人とイカダで下り、2回も死にかけたのは懐かしい思い出です。
この時期は人間形成の大事な時期です。
何でも吸収できる好奇心旺盛な時期に、感性を研ぎ澄まし、次のステージへ向けての土台をつくるのです。
今でも元気なのは、この時期にメンタルと身体を鍛えることができたからだと感じています。
第二章は学んだ事で世の中に尽くす
――三分割 その2は何でしょうか。
鈴木氏――次はビジネスでの実践ステージです。
高校を卒業して3年間、東京で修行したのち帰郷して、21歳でゼロからおもちゃ問屋を立ち上げました。
新潟県内のおもちゃ屋のみならず、近県のおもちゃ屋とも広く取引を開始。
創業当時は長岡市に本社を構え、新潟のダイエーに納品してほしいと依頼がありました。
その後、ダイエーの店舗のみならず、他の量販店(ジャスコ、ヨーカ堂、ニチイ等)との取引も始まり、本社も長岡市から新潟市へ移転しました。
テレビゲームが出始めた頃にはゲーム販売にも力を入れました。
任天堂の代理店になり、その次にはSONYから是非代理店をやってほしいと声がかかり、双方とも代理店となりました。
1980年代ですが毎年順調に業績を伸ばし、ピーク時は年商38億円。
50名ほどの社員と共に会社を経営しました。
ただし、良い時はそれほど長くは続きません。
販売先の倒産などで不良債権が発生しました。
その後、売上も減少傾向にある中、中古品販売事業で急拡大していたハードオフ社から共同事業の打診がありました。
協議を重ねた結果、事業譲渡が双方ベストと判断し、従業員の雇用を条件に譲渡しました。
ちょうど60才還暦を迎えた時でした。
――何と20年前に売手としてM&Aを経験されていたのですね。
鈴木氏――当時はM&Aという認識はありませんでしたが、実際に大手企業に事業をお譲りした訳なので、そうですね。
今でいえば再生型のM&Aですね。
そして、会社の一切の整理が済み、以前から考えていたコンサルタントの仕事をやりたいという気持ちが強まりました。
その前に、経営学をもう少し学術的に学びたいと思いました。
すぐに新潟大学の教務課を訪問し、その日の午後にあった経済学の授業に出させて頂き入学を決めました。
▶人生三分割の前半、中盤をお聞きしました。いよいよ次のページでは、人生の最終章に果敢に挑戦し続ける鈴木さんのパワーを感じていただきます!