老子に学ぶ、現代社会思考~地球環境中心主義でニッポンを元気に
- 2021/9/20
- コラム
老子の書と伝えられる「道徳経」から現代の世相を紐解くコラムの第4回目。第46章より、足るを知ることの重要性について、一般社団法人数理暦学協会の代表理事 山脇史瑞氏が考察します。文明の発達と環境問題の共存には、物質的な欲望をコントロールして精神的な幸福感に振り分け、バランスをとることが大切なようです。
元気な地球で生き生きと暮らす
「どうしたら元気になれるか」と老子に聞いたら、
「元気を無駄遣いしないこと」と答えるだろう。
私たちは明治以降、
欧米諸国に追いつかねばと、
忠実に、
懸命に働くことこそが美徳であると信じ、
頑張り続けてきた。
その結果、今、なぜか元気がない。
今まで一生懸命にやってきたことは、
地球からみたら、
自然のエネルギーを奪うだけの余計な事。
元気のない地球に住んでいて、
元気になれる訳がない。
せめて少しでも自然エネルギーが強い場所に行き、
自然界のリズムに同調し、
余計なことはせずに生きること。
これこそ老子の無為自然論。
それでは、文明を完全否定し、原始社会に戻るべきなのか。
実はこの問題、
諸子百家のメインテーマで、
様々な論争が行われてきた。
つまり、文明化による環境破壊は、
2500年前から問題視されていたということで、
今に始まったことではないようだ。
孔子と墨子は、
文明社会は維持されるべきとの立場をとっている。
それに対し老子は、
文明よりも自然の方を優先させるべきで、
人間は自然の一部にすぎないと説いている。
今更文明社会を棄て去ることは出来ないが、
今や環境問題は地球全体のテーマである。
つまり、老子の時代なのだ。
それではどうすれば良いのだろうか。
可欲より大なる罪は莫く、
足るを知らざるより大なる禍は莫く、
得んと欲するより大なる咎は莫し。
故に足るを知るの足るは、常に足るなり。(道徳経第四十六章)
自分の豊かさや、権力を誇示し、
欲望を煽ること程、大きな罪はない。
何をもって満足するのか、
それを知らない限り、
欲望は底なし沼だ。
とめどのない欲望は、
いずれ大きな禍を招くだろう。
欲望量の的確な把握を
文明社会と環境問題の共存には、
最初に、何をもって満足できるのかを明確にして、
欲望をコントロールする。
欲しいものが、
車や洋服などの消耗財でもいい。
問題は、
何をどの位所有すれば、
こころが満たされるかだ。
欲望量の把握が曖昧だと、
逆に欲望が煽られやすい。
どの位の量なのか把握できれば、
コントロール可能となる。
己を良く知る。
それを、老子は「明知」といった。
そして、
物質的な繁栄を追い求めることで満たそうとしていた幸福感を、
精神的な幸福感に振り分けながら、
環境と欲望のバランスをとることだ。
経済さえ元気になれば、
ニッポン人も元気になるという理論は、
既に古いのかもしれない。
出典:Wikipedia
老子は、今から約2500年前の戦闘動乱期、中国春秋時代における哲学者です。後世に諸子百家と呼ばれるようになった哲学思想集団のうち、道家は老子の思想を基礎としています。後に、老子を始祖に置く道教の教えを書き記した「道徳経」は、先人の金言が徐々に集積されたものなどの諸説が存在しています。
出典:東洋古典運命学「老子と学ぶ人間学④ ニッポンを元気にする方法」
この記事は著者に一部加筆修正の了承を得た上で掲載しております。