お坊ちゃん社長はメンテナンス力で人も車もときめかせる(前編)
- 2021/6/2
- インタビュー
後継者不在に悩む中小企業が増える中、承継に意欲的で経営者としての素質もある”跡継ぎ”が存在することは、企業経営者にとってありがたいことでしょう。一方の家業を継ぐことを決意した2代目社長たちは、期待に応えることを求められ周囲の目を気にするあまり、思うような経営ができないでいる現状もあります。
サラリーマンを経たのち家業を承継した、京南オートサービス株式会社代表の田澤孝雄社長に、2代目の葛藤と苦悩から抜け出し、想い描く経営が出来るようになるまでのご自身の体験をお話しいただきました。田澤さんは、2代目お坊ちゃん社長の会の代表理事として、悩める2代目社長を支援するためのコミュニティも運営されています。
目次
親への反発心で将来を所望
――まずは、自己紹介をお願いできますか。
田澤孝雄氏(以下、田澤氏)――1975年生まれの現在46歳です。
次男にして29歳の時に会社を承継することになった2代目です。
父が不動産業とガソリンスタンド事業を営んでいたのですが、子どもの頃は自分のなかで不動産業の存在が目に見えて大きかったですね。
親への反発から逆に目に見えないものの専門家になってやろうと決意し、大学2年の時から知的財産について勉強して弁理士を目指しました。
逆面接で得た順風満帆なサラリーマン時代
――卒業後はどのような企業に就職されたのですか?
田澤氏――当時、家から早く出たかったですね。
家にいるとおやじの影響力が強すぎるので、窮屈だったんでしょう。
目標とする弁理士にも学生の間に受かりたかったのですがそんなにうまくいくはずなく、働きながら試験を受けようと作戦を変更。
ごく普通にリクルートの仕組に乗って就職活動を行いました。
面接では、知的財産に関する職場に入れてほしいと話し、面接官と喧嘩になったこともありました(笑)
じゃあ、逆面接してやろうといきなり代表電話にかけたり。
「あなた、何言ってるの?」と、さんざん門前払いを食らいましたが、1社だけ「アルプス電気」が僕の話に興味を持ってくれたんです。
役員と話したところ面白いと評価してくれ、そのまま入社することになりました。
入社後は可愛がられましたね。
新しい仕事がどんどん回ってきて、2億円の融資を引っ張ってきて会社をつくったり、面白いことをたくさんやらせてもらいました。
給料も特別枠でどんどん上がっていき、華々しく面白楽しい生活をしていた時期でしたね。
家業を継いで苦行の連続?
――家業を承継したきっかけ何だったんでしょう?
田澤氏――この会社員として一番面白かった時に、おやじから「そろそろ投資回収の時期だ」と、つまり、「戻ってこい」というお達しがあり、長男の兄が継がないなら、「自分がやるしかないんじゃないの?」と、腹をくくり会社を辞めました。
父の会社には弁理士の資格が活かせる事業部門もあったので、そこで働けるだろうと思って入社したんですが、いざ入ってみたら出向だ!と。
しかも、出向先はガソリンスタンド部門ですよ。
会社を辞めちゃってるからしかたなく、JOMOのばけものスタンドと言われる大型店に入店しました。
そこから始まったのは、ガソリンスタンドの給油の仕事です。
14年前、2007年頃の話ですが、体を酷使して怒号が響くやんちゃな環境の上に、パソコンもなく電話とFAXで仕事をするという超アナログな現場でした。
1年半の経験ですが、今思えばとても勉強になりましたね。
当時は油まみれになるのが嫌でしたが、車にも少しは触れるようになっていました。
その後、「俺は経営しにきたんだ!」と思い起こし、まずはフランチャイズで介護の会社を作りました。
現在も継続している会社ですが、はじめて人材集めから資金繰りまでを一通り経験しました。
支払いってこうやってやるんだ!なんて、お坊ちゃんだったんで知らないことだからでしたね(笑)
▶事業を承継した田澤さんがM&Aで新規事業を獲得し、赤字から黒字に転換した経緯について、次のページでお届けします!リーダーとしての判断軸を備えた田澤さんの躍進が始まります!