お坊ちゃん社長はメンテナンス力で人も車もときめかせる(前編)
- 2021/6/2
- インタビュー
目次
新規事業はM&Aで獲得
――その後の事業展開はどのように進めていったのでしょうか?
田澤氏――その2年後には、ガソリンスタンドはダメだ!と、見切ることを決めました。
The 2代目なので否定癖があるんですね(笑)。
そこで、どこのガソリンスタンドでも浸透していた洗車ビジネスに目を付けたんです。
車は進化して中身は変わるから自分の能力ではいまさら整備士になるのも違う…車を洗うことくらいはできるだろうと思ってのことでした。
でも、スモールビジネスのままでは社員を食わせられない。
柱になる事業がないかとずっと考えていたところ、たまたま運よく板金事業を行っていた、今の会社名でもある京南オートサービスの譲渡の話が持ち上がったんです!
とんとん拍子に2か月でM&Aが決まりました。
今から10年前の話です。
預金通帳と決算書だけ見て、お互いの弁護士に全て任せて決めてもらう早業でした。
そうしたら、なんと数億レベルの借金がついてきた!
普通だったら躊躇するような話なんでしょうけど、何事もやってみようの精神で、今ではそれがベストだったと思えます。
ファイナンスも父の長年の事業運営の信用でどうにか付き、元々の社長がM&A後も2年間会社に残ってくれるというソフトランディングでの譲渡でした。
直面したのは正解のない会社経営
――その後経営は順調でしたか?
田澤氏――前社長が退任した後、4年間は毎月赤字、5年後には大赤字になりました。
仕事の規模やポイントがよくわからなかったからだと思います。
毎月300万円のキャッシュが飛ぶ。
この工場は死ぬと悪評が立ち、いい加減、自分の貯金も尽きた。
どうしようもないと初めて追い込まれました。
累計何億もの赤字です。
企業の中でいろいろやっているときはちゃんと正解があったから常に正解を探すのが癖になっていたんですが、自分でやってみたら何が正解か全然わからない。
そして、赤字がとまらない。
どうしていいのか分からない。
はじめて大海原に投げ出された感覚です。
でも、そこでようやく開き直れた。
マインドリセットできたんです。
足し算経営から引き算経営への転換
――どのように黒字に転換させたのですか?
田澤氏――それから1年半かかりましたが、それまで足し算経営していたものを引き算経営に自分の意思で変えたことが一番の変革だったと思います。
有名メーカーの仕事を切るなどして、顧客選別をしていきました。
穴が空いた分は自分で営業して埋めることを繰り返した結果、1年半後にはあっさり黒字になりました。
2代目なんで、いろんな方にいい顔をする。
小さいころからそんな生活だったので、もうそれが刷り込まれちゃってるんですよ。
だから、あっちにもこっちにも良いように物事を決めようとしていたんですが、それがだめだと気付いた。
その時から、みんなを満足させようと思うことを止めました。
良くても悪くても自分で判断する!
それがポイントだったと思います。
既存の事業を自分の色に変える
――営業の対象となるお客さんはどのように見つけていったんですか?
田澤氏――もともと保険会社から仕事を請けるビジネスモデルを持っていましたので、その連携を強化したことが大きかったですね。
参入時期はちょうどダイレクト損保モデルが注目されていて、板金の技術力の高さを評価され、ダイレクト損害保険会社の新たな指定工場モデルに乗れたこともよかったですね。
会社も工場も、サービス業としての考え方で、清潔で美しく保てるよう気をつかっています。
――田澤社長のマインドリセット後は会社経営も目覚ましく成長されたのですね!
田澤氏――はい。段階的に行ってきたM&Aも、最後に今まで地代払いをしていた千坪もの土地を購入して落ち着きました。
このころからようやく自分の意識で仕事ができるようになりました。
もともとあるものをどうやったら自分のものにしていけるのかをこの時の体験から学びましたね。
この続きは、後編でお届けします。お楽しみに!