サービス業を“憧れの仕事”に!旅館支配人から起業へ──宿泊業を変革する挑戦
- 2025/8/20
- インタビュー

伊豆・河津七滝のほとりに、3室だけの温泉宿「河津七滝 渓流温泉茶寮 水鞠(MIZUMARI)」(以下、「水鞠」)があります。運営するのは、カナダでホテルマネジメントを学び、宿泊業で18年のキャリアを積んだ向谷太陽さん。掲げるのは「サービス業を人気職種にする」という大きな使命。この宿に、その挑戦を託した想い──経営戦略と人生観をじっくり伺いました。
目次
家族で行く特別な宿
Z-EN――まず、「水鞠」がどんな宿なのか教えてください。
向谷太陽氏(以下、向谷氏)――特徴は、3,000坪の敷地を横切るように清流が流れていること、そして客室がわずか3室しかないことです。
以前は「つりばし」という本館・別館あわせて60室ほどの老舗旅館で、団体客や宴会がメインでした。
私はあえて別館(26室)のみをリニューアルして部屋数を3室に減らし、静けさとプライベート感を重視したんです。

「水鞠」の敷地内を流れる渓流と川に架かる吊り橋
川沿いを散歩していると、野生の鹿が現れることもあります。
夜には満天の星空が広がり、都会では味わえない時間が流れます。
温泉は自家源泉かけ流し。
お客様には「部屋から一歩も出たくなくなる」と言われることも多いですね。

「水鞠」の客室の露天風呂。プライベート空間で、源泉かけ流しの温泉が楽しめる。
――なぜ子連れ歓迎というコンセプトに?
向谷氏――高級宿はお子様NGのところが多く、それはそれで静けさを守るという意味では正しいと思います。
でも私は、子どもがいるからこそ、家族で特別な時間を過ごしてほしいと思いました。
だから“子連れウェルカム”にして、親も子も気兼ねなく楽しめる環境を作ったんです。
館内には60畳のプレイルームを作り、おもちゃや絵本、ボードゲームを常備。おむつやベビーフードも無料で用意しました。
お子様向けのお菓子やジュースも好きなときに取れるようにしていて、「子どもが喜ぶと親も喜ぶ」という連鎖を大事にしています。

「水鞠」管内からも伊豆天城の自然を見渡すことができ、鹿などの野生動物が顔をのぞかせることもある。
「サービス業を人気職種に」──危機感からの出発
――ブログや動画で「サービス業を人気職種に」と発信されています。その背景は?
向谷氏――業界歴21年になりますが、この仕事はよほどの覚悟がないと続きません。
給与水準は低く、休みも取りづらい。
繁忙期は朝から深夜まで働く日もあり、体力的にも精神的にもきつい。
やりがいがあっても、そのやりがいがすり減ってしまう。
そんな現場を何度も見てきました。
このままでは人材が定着せず、業界の魅力も上がらない。
まさに穴の開いたバケツに水を注ぐような状況です。
だからこそ、業界全体の待遇やイメージを変える必要があると感じたんです。

「水鞠」ロビーでの向谷氏。
カナダで学んだ“接客という学問”
――カナダ留学のきっかけと学びについて教えてください。
向谷氏――当時、比較的、英語が得意だったのと、高校時代の接客アルバイトで、同年代のサービススタッフと比べて自分が接客に向いているなあと感じていたことがきっかけです。
そして、接客業の最たる職種は何だろうと考えていったら、お客様の滞在時間が長く接客の密度が濃い宿泊業だと思い当たり、海外でそのホスピタリティを学びたいと海外進学を決めました。
最初はアメリカを考えていましたが、治安の問題からカナダへ。
1999年から4年間、ホテルマネジメントを学びました。
現地では、コンビニやファミレス、ファストフード、ホテルなど、価格帯にかかわらず、接客はアドリブでやるのが当たり前。
そこは後々、チップという仕組みに行き着くわけですが、接客のなかで個々がいいパフォーマンスをする、ルールに縛られない接客をするのを実際に見られて、非常に良かったと思っています。
一方で、カナダの大学での学びは経営者育成が中心で、ヨーロッパのホテル学校のようにサービスパーソンを育てる仕組みではありませんでした。
方向性の違いを感じ、日本で“おもてなし”を極めたいと思うようになったんです。
ちなみに帰国のきっかけは、短期留学で知り合った日本人女性──今の妻を追いかけたことです(笑)
23歳で50人の部下
――帰国後、すぐに責任ある立場に就かれたそうですね。
向谷氏――伊豆の旅館に入社して3か月で店長に任命されました。
直属の部下が30名、調理場が10名、客室の清掃と営繕部で10名。その50人全員が年上の先輩です。
すべてのスタッフに指示を出さなければならないのですが、誰も私の声に耳を傾けようとはしない。
現場をまとめることの難しさを痛感しましたね。
7年勤めた後、東日本大震災の年に転職を決意しました。
きっかけはスティーブン・ホーキング博士の言葉です。
「神もいない、死後の幸福も約束されていないとすれば人は何のために生きればいいのか」という問いに対し、「人は行動の価値を最大化するために生きる」と返された。
自分はやりたいことができず、むしろやりがいの搾取に加担している!と気づき、このままではいけないと思ったんです。
▶カナダでのサービスマネジメントの学びを日本のサービスに転換し、日本らしいおもてなしの心で「水鞠」を営む向谷さん。次のページでは、「サービス業を人気職種にしたい!」と考えるようになった原点と今後の事業展開についてお話いただきます。