「奥能登国際芸術祭」の仕掛けは、開かれた現代アート×過疎地
- 2021/12/15
- 経営全般
目次
協働でプロジェクトをマネジメント
プロジェクトマネージャーの仕事は実際、大変です(笑)。
関係者が多様なので、何が仕事のゴールなのか、分かりにくいからです。
他者との関わりで世界が開かれていく
奥能登国際芸術祭には珠洲市の財源に加え、国や財団から補助金をいただいています。
そこに企業や個人の協賛金やふるさと納税、そして入場料収入を加えて運営しているのですから、お金を出してくれた人が要求する指標をクリアするのは当然の話。
何人が来場したか、経済効果はあったかという数字も求められます。
ただ、それで終わってはいけないという思いがあります。
地域にとっては、芸術祭の成功だけがゴールではない。
目指す目的地は人によってさまざまで、集落のおじいさん、作家、行政それぞれ違います。
そのなかで、どうやってみんなをつないでいけるかが大変なところです。
そのためには、副産物が豊かになることが大事で、地元の人や関わった人の意識が変わり、世界観が広がることが重要だと思います。
越後妻有でも、民家が5軒しかない集落の1軒が農家のお嫁さんが運営するレストランに変わりました。
従来であれば、農家の嫁という観念に縛られていたのが、お客さんが語る他の芸術祭を見に行くようになる。
しかも、その旅費はレストランで稼いだお金です。
外から来た人と会うことで、今まで関係ないと思っていた外の世界に関心を向け、それが地元の見方をより豊かにしていきます。
そのようにして、それぞれ世界が開かれていくのです。
アーティストと行政と
芸術祭は、行政が関わることによって、長期的に続けることができます。
ただ実際は、アーティストと行政は水と油みたいな関係です。
一般的に行政は決められたことをどう守っていくかをミッションとしますが、アーティストは、決められたことを乗り超えていくからです。
ただ、過疎化していく地域ではサイズに合わせてルールを見直す必要が出てきています。
そこにアーティストが問題提起をする。
作家の提案に対し「規則だから」といった押し返しも含めて摩擦が生まれ、何度とないコミュニケーションを通して折り合いがつくことがあります。
そうしたときに今までにはなかった風景ができるのだと思います。
珠洲の理解者たち
ことのきっかけは、地元の商工会議所を中心とした民間の熱意で始まった芸術祭です。
商工会議所の意識の高い人たちが2012年に越後妻有の芸術祭を視察して、鉄道が廃線になって原発誘致の話も立ち消えとなり、観光と地域づくりに取り組むなか、自分たちの地域にも起爆剤のようなものが必要だと、翌2013年に芸術祭を統括する北川フラム氏を訪ねてきたのです。
アートディレクターの北川氏は当時、新潟県と瀬戸内で芸術祭を手掛けており、手いっぱい。
これ以上広げられないとお断りしたのですが、講演会だけでもと言われて北川氏が珠洲市を訪ねました。
行政の関りは必要という北川氏のアドバイスに、商工会議所の方々が1年かけて地元の市議を全員説得し、珠洲市の協力も得るということをやりました。
こういう下積みがあったからこそ、2017年に最初の奥能登国際芸術祭を開催することができ、地域へ浸透する速度も早かったと思います。
トップの理解が後押し
幸いなことに、泉谷満寿裕市長も現場のスタッフも当事者としてプロジェクトを先導してくださったので、珠洲市役所にはたくさんの理解者・協働者がいました。
さらに、泉谷市長はリスクのとれる人でした。
芸術祭には多くの資金がかかります。
ただ、アートのように何が出来上がるか未知数の部分が多いものに行政が支出するのは、相当の覚悟が要ったと思います。
また、芸術祭の先行地域に対し、二番煎じ、三番煎じになるという懸念もあったと思います。
当初こそは、自身の発案ではなかった芸術祭ですが、今では市長が一番見て参加して楽しんでいるようでした。
作品についてや、作品をきっかけに変容する珠洲を、生き生きと語られる話には、いつも気付きをもらっています。
市長自身も、ただ経済効果を追い求めるだけではなく、芸術祭が生み出す副産物の価値を実感されているのだと思います。
地域と芸術の媒介者として
珠洲市との関わりにしても計7年に及んでいます。
越後妻有のときは、運営のために現地に12年住みました。
各地で芸術祭に関わる余裕はありません。
一つ一つに手間がかかるので、組織を作ればという声もありますが、一方で組織的にやろうとすると組織の維持など、別の論理が働いてしまう。
ただ、芸術祭をつくろうという人が水平方向に広がっていって、部分的なお手伝いはできるかもしれません。
媒介者となって、人と人、人と環境をつなぐことが自分の仕事なので、これまで培った経験や出会いなども自分で終わってはいけないと思っています。
自分と自分の環境を変えるために一歩踏み出したいという人、芸術のように一見バカバカしいと思われることも面白がれる人に出会いたいですね。
関口さんがアート関わるきっかけともなった越後妻有トリエンナーレの20年の歩みを語ってくださっている記事はこちら
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