お坊ちゃん社長はメンテナンス力で人も車もときめかせる(前編)

後継者不在に悩む中小企業が増える中、承継に意欲的で経営者としての素質もある”跡継ぎ”が存在することは、企業経営者にとってありがたいことでしょう。一方の家業を継ぐことを決意した2代目社長たちは、期待に応えることを求められ周囲の目を気にするあまり、思うような経営ができないでいる現状もあります。

サラリーマンを経たのち家業を承継した、京南オートサービス株式会社代表の田澤孝雄社長に、2代目の葛藤と苦悩から抜け出し、想い描く経営が出来るようになるまでのご自身の体験をお話しいただきました。田澤さんは、2代目お坊ちゃん社長の会の代表理事として、悩める2代目社長を支援するためのコミュニティも運営されています。

親への反発心で将来を所望

――まずは、自己紹介をお願いできますか。

田澤孝雄氏(以下、田澤氏)――1975年生まれの現在46歳です。次男にして29歳の時に会社を承継することになった2代目です。父が不動産業とガソリンスタンド事業を営んでいたのですが、子どもの頃は自分のなかで不動産業の存在が目に見えて大きかったですね。親への反発から逆に目に見えないものの専門家になってやろうと決意し、大学2年の時から知的財産について勉強して弁理士を目指しました。

京南オートサービス株式会社 田澤孝雄社長

逆面接で得た順風満帆なサラリーマン時代

――卒業後はどのような企業に就職されたのですか?

田澤氏――当時、家から早く出たかったですね。家にいるとおやじの影響力が強すぎるので、窮屈だったんでしょう。目標とする弁理士にも学生の間に受かりたかったのですがそんなにうまくいくはずなく、働きながら試験を受けようと作戦を変更。ごく普通にリクルートの仕組に乗って就職活動を行いました。

面接では、知的財産に関する職場に入れてほしいと話し、面接官と喧嘩になったこともありました(笑)じゃあ、逆面接してやろうといきなり代表電話にかけたり。「あなた、何言ってるの?」と、さんざん門前払いを食らいましたが、1社だけ「アルプス電気」が僕の話に興味を持ってくれたんです。役員と話したところ面白いと評価してくれ、そのまま入社することになりました。

入社後は可愛がられましたね。新しい仕事がどんどん回ってきて、2億円の融資を引っ張ってきて会社をつくったり、面白いことをたくさんやらせてもらいました。給料も特別枠でどんどん上がっていき、華々しく面白楽しい生活をしていた時期でしたね。

家業を継いで苦行の連続?

――家業を承継したきっかけ何だったんでしょう?

田澤氏――この会社員として一番面白かった時に、おやじから「そろそろ投資回収の時期だ」と、つまり、「戻ってこい」というお達しがありまして、長男の兄が継がないなら、「自分がやるしかないんじゃないの?」と、腹をくくり会社を辞めました。

父の会社には弁理士の資格が活かせる事業部門もあったので、そこで働けるだろうと思って入社したんですが、いざ入ってみたら出向だ!と。しかも、出向先はガソリンスタンド部門ですよ。会社を辞めちゃってるからしかたなく、JOMOのばけものスタンドと言われる大型店に入店しました。

京南オートサービス公式サイトより

そこから始まったのは、ガソリンスタンドの給油の仕事です。14年前、2007年頃の話ですが、体を酷使して怒号が響くやんちゃな環境の上に、パソコンもなく電話とFAXで仕事をするという超アナログな現場でした。1年半の経験ですが、今思えばとても勉強になりましたね。当時は油まみれになるのが嫌でしたが、車にも少しは触れるようになっていました。

その後、「俺は経営しにきたんだ!」と思い起こし、まずはフランチャイズで介護の会社を作りました。現在も継続している会社ですが、はじめて人材集めから、資金繰りまでを一通り経験しました。支払ってこうやってやるんだ!なんて、お坊ちゃんだったんで知らないことだからでしたね(笑)

新規事業はM&Aで獲得

――その後の事業展開はどのように進めていったのでしょうか?

田澤氏――その2年後には、ガソリンスタンドはダメだ!と、見切ることを決めました。The 2代目なので否定癖があるんですね(笑)。

そこで、どこのガソリンスタンドでも浸透していた洗車ビジネスに目を付けたんです。車は進化して中身は変わるから自分の能力ではいまさら整備士になるのも違う…車を洗うことくらいはできるだろうと思ってのことでした。でも、スモールビジネスのままでは社員を食わせられない。柱になる事業がないかとずっと考えていたところ、たまたま運よく板金事業を行っていた、今の会社名でもある京南オートサービスの譲渡の話が持ち上がったんです!

とんとん拍子に2か月でM&Aが決まりました。今から10年前の話です。預金通帳と決算書だけ見て、お互いの弁護士に全て任せて決めてもらう早業でした。そうしたら、なんと数億レベルの借金がついてきた!普通だったら躊躇するような話なんでしょうけど、何事もやってみようの精神で、今ではそれがベストだったと思えます。ファイナンスも父の長年の事業運営の信用でどうにか付き、元々の社長がM&A後も2年間会社に残ってくれるというソフトランディングでの譲渡でした。

京南オートサービス公式サイトより

直面したのは正解のない会社経営

――その後経営は順調でしたか?

田澤氏――前社長が退任した後、4年間は毎月赤字、5年後には大赤字になりました。仕事の規模やポイントがよくわからなかったからだと思います。

毎月300万円のキャッシュが飛ぶ。この工場は死ぬと悪評が立ち、いい加減、自分の貯金も尽きた。どうしようもないと初めて追い込まれました。累計何億もの赤字です。

企業の中でいろいろやっているときはちゃんと正解があったから常に正解を探すのが癖になっていたんですが、自分でやってみたら何が正解か全然わからない。そして、赤字がとまらない。どうしていいのか分からない。はじめて大海原に投げ出された感覚です。でも、そこでようやく開き直れた。マインドリセットできたんです。

足し算経営から引き算経営への転換

――どのように黒字に転換させたのですか?

田澤氏――それから1年半かかりましたが、それまで足し算経営していたものを引き算経営に自分の意思で変えたことが一番の変革だったと思います。有名メーカーの仕事を切るなどして、顧客選別をしていきました。穴が空いた分は自分で営業して埋めることを繰り返した結果、1年半後にはあっさり黒字になりました。

2代目なんで、いろんな方にいい顔をする。小さいころからそんな生活だったので、もうそれが刷り込まれちゃってるんですよ。だから、あっちにもこっちにも良いように物事を決めようとしていたんですが、それがだめだと気付いた。その時から、みんなを満足させようと思うことを止めました。良くても悪くても自分で判断する!それがポイントだったと思います。

既存の事業を自分の色に変える

――営業の対象となるお客さんはどのように見つけていったんですか?

田澤氏――もともと保険会社から仕事を請けるビジネスモデルを持っていましたので、その連携を強化したことが大きかったですね。参入時期はちょうどダイレクト損保モデルが注目されていて、板金の技術力の高さを評価され、ダイレクト損害保険会社の新たな指定工場モデルに乗れたこともよかったですね。

京南オートサービス公式サイトより

会社も工場も、サービス業としての考え方で、清潔で美しく保てるよう気をつかっています。

――田澤社長のマインドリセット後は会社経営も目覚ましく成長されたのですね!

田澤氏――はい。段階的に行ってきたM&Aも、最後に今まで地代払いをしていた千坪もの土地を購入して落ち着きました。このころからようやく自分の意識で仕事ができるようになりました。もともとあるものをどうやったら自分のものにしていけるのかをこの時の体験から学びましたね。

この続きは、後編でお届けします。お楽しみに!

田澤孝雄
京南オートサービス株式会社 代表取締役社長
2代目お坊ちゃん社長の会 代表理事

投稿者プロフィール
1975年生まれ。早稲田実業高校から早稲田大学政治経済学部に進学。不動産業を営む父親に逆らえず、大学1年で宅建を取得するも父への反発心で、不動産とは真逆の弁理士取得を決意。サラリーマン時代に25歳で弁理士合格を果たす。
30歳目前にして家業に入社。家業のガソリンスタンド業界を発展しつつ、損保指定工場の板金事業に魅せられ京南オートサービスとして運営交代し37歳で社長に就任。他に介護事業や洗車事業を運営する等、多角的な事業経営をしつつ、「一般社団法人2代目おぼっちゃん社長の会」を立ち上げ家業を継ぐ2代目を支援する。
著書「ビジョン経営革命を起こした2代目お坊ちゃん社長の77の逆襲レター」
Youtubeチャンネルでの動画は現在140件

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