創業135年を誇る老舗企業、株式会社カクイチの代表取締役社長 田中離有氏は、既存の農業用資材関連事業に加え、未経験だった新たなホテル経営や農業の未来を見据えた分野の事業に参画していらっしゃいます。前編では、創業以来の企業理念である「日本を農業で元気にする」を実装する事業展開とシステム作りについてお話しいただきました。後編では、新参したホテル経営での学びとその功績、今後のビジョンなどについて語っていただきます。
インタビューアーは、引き続き、経営コンサルタントで税理士、一般社団法人数理暦学協会理事長の鈴木道也氏です。
目次
サービスの多様性こそがイノベーションの柱となる
鈴木道也氏(以下、鈴木氏)――初めてのホテル経営として「アンシェントホテル浅間軽井沢」を創業されたわけですが、前編のインタビューの中では、未経験の業界での体験が社内に新風を巻き起こしたと高い評価をされていらっしゃいますね。
根幹となる製造業との大きな違いはどのようなことだとお考えですか。
田中離有氏(以下、田中氏)――製造業として弊社が大切にしてきたことは、お客様を第一に考えたサービスの提供と信用の獲得、そして高い品質です。
基本的にはホテルも同じですが、ホテルと製造業が絶対的に違う点は、ホテルの場合、100人のお客様がいたら求められるものが100通りであり、提供できることも100通りだということです。
物置やホースなどの製造品も、顧客により当然ニーズが違いますが、弊社の商品群の中から顧客に選択していただかなければならないというのが、製造業の限界です。
しかしホテルは、スタッフ自身がサービスの製造者となり様々なサービス(商品)を提供することができ、その形には無限の可能性があるのです。
提供できるものは、有形、無形があり、ホテルそのものの誂えも大切ですが、それと同じくらい大切なものは「しつらえ」であり、おもてなしの心です。
おもてなしとは「表なし」のこと。
裏表のない、澄み切った心でお客様をお迎えする気持ちです。
それを、顧客ごとにリセットし、新たな気持ちで個々のお客様と接する必要があるのです。
ホテルマンとしての経験も大切ですが、経験以上に大切なことは、お客様の気持ちになって考える、相手の気持ちになって考える視点であり、これこそが多様性を認め合う時代のイノベーションに必要な感性ではないでしょうか。
スタッフの気づきを引き出すためには信頼あるのみ
鈴木氏――日本の美徳と言われるおもてなしの心を御社の理念の一つとして更新されたように感じます。ただ、それを現場で実践していくのはスタッフですから、人材教育といった側面もかなり重要になるのではないですか。
田中氏――創業時の話ですが、私は自分のホテルが提供するコーヒーを美味しいとは思えず、変えるべきだと感じていました。
社員にそれを指示することは簡単です。
しかし、私がそれを指示するといつまでも気づけず成長が止まってしまい、それは社員が自主的に気づく機会を奪ってしまうことでもあり、人材の大いなる損失だと考えました。
そこで、コーヒーの不満を伝えることを辞め、スタッフが気づくのを待つことにしました。
勿論その間に、コーヒーが不味いと言って立ち去る客もいるでしょうし、サイトへの書き込みもあるかもしれません。
しかし私は、スタッフがお客様に日頃丁寧に接していた姿を見ていたので、彼らを信頼し「気づき」を待つことにしたのです。
ホテルスタッフの仕事はコーヒーを淹れることだけではありませんし、コーヒーはほんの些細な業務の一環かもしれません。
しかし、その些細な事に気づき、ひとつひとつの仕事を丁寧にお客様の気持ちになって考える姿勢こそが大切であり、そのようなスタッフを育成するには信頼をもって見守るしかなく、社員を信頼する自分を信じるしかありません。
経営者としての腹のくくり方でもあります。
勿論、私は最高のサービスを目指しています。
決して美味しいとは思えないコーヒーを出すことが良いとは思っていませんし、製造業では、ガレージのネジが緩んでいるのを見て、放っておくことなどありえませんが、ホテル事業を製造業と同じように考えてはいけないと思いました。
ホテル事業は、お客様が日常生活からリセットできる、寛ぎの空間の提供です。
それには、お客様が求めている距離感とぬくもりを肌で感じ、自然かつ当然のことのようにサービスとして提供できる人材の教育が必要です。
つまりそれが、スタッフそれぞれがサービスの製造者でもあるということです。
製造会社の経営者とはまったく違う視点を持たない限り、成り立たない事業だと考えました。
和の心で最高級のおもてなしを
鈴木氏――アンシェントホテル浅間軽井沢は世界的な評価も高いホテルですね。
田中氏――私たちサービスを提供する側が常識に捉われると、お客様にも自分たちの常識を押し付けてしまいます。
私たちが目指すべき最高のサービスとは、「相手のことを考え慮ること」。
相手の気持ちに思いを巡らし、提供できるサービスを考えることに他なりません。
それは、欧米系の一流ホテルにもマニュアル化出来ない、和の精神です。
100人いれば100通りのおもてなしがあり、正解も不正解もありません。
それこそが、軽井沢の国立公園内に一軒だけ営業を許されたホテルにふさわしいサービスであり、ホテル経営素人の私たちにしか出来ないサービスだと考えました。
新しい事業を創造するには、従来の考えをゼロリセットすること。
短期的利益は頭の隅に置き、その事業にかかわるスタッフが楽しみながら自己成長することを見守り続けない限り出来ないと思います。
その結果はどう評価されたのか。
2021年、アンシェントホテル浅間軽井沢は、トリップアドバイザーの小規模ホテル部門で、アジア第2位、世界第9位という評価をいただきました。
▶ホテル事業への参画を通じ、サービスの神髄とそれを提供できる人材育成の大切さに気付かれた田中さん。次のページでは、イノベーションを軸にした老舗企業のビジョンについて抱負を語っていいただきます!