ロジックが導くメガフランチャイジー成功への道(後編)
- 2022/3/7
- インタビュー
目次
人材育成という視点で子どもの教育を考える
中村氏――会社設立後、最初に手掛けたのは学習塾事業ですね。なぜ塾に着目したのですか。
石塚氏――これまで行っていた外食事業では、高校生や大学生といったアルバイトの教育・戦力化を行っていたわけですが、彼らの中には自信がなかったり、少し常識に欠けていたりする子もいて。
そこに対しての危機感がありました。
年齢を追うごとに手がかかるのであれば、もう少し若い世代から教育するのがいいのではないかと思い、教育事業に着目したのです。
手引書は『7つの習慣』
中村氏――選んだ本部は「ITTO個別指導学院」ですね。学習塾で起業された理由は?
石塚氏――実はセコム時代に、営業として成長しないとダメだと思い購入した本に「7つの習慣」(スティーブン・R・コヴィー著)があります。
優れた人格の養成から成功への法則を抽出した7つの習慣をまとめたものですが、これを読んで、生きる力やリーダーシップの重要性を私自身ひしと実感しました。
ですから、私が起業して最初に目指したのは、学習塾をやることそのものよりも、7つの習慣を子どもたちに教えることだったのです。
より若い年代から7つの習慣を身に付けさせられれば、もっとしっかりとリーダーシップを持った大人になり、彼らをうちのアルバイトとして採用できたら飲食事業とのシナジーにもなると当時強く思いました。
そして、ちょうど私が独立する年にITTO個別学習指導学院と7つの習慣が業務提携をしたので、学習塾で起業したのです。
【7つの習慣】
- 主体的である
- 終わりを思い描くことから始める
- 最優先事項を優先する
- Win-Winを考える
- まずは理解に徹し、そして理解される
- シナジーを創り出す
- 刃を研ぐ
失われた4年間の始まり
中村氏――1年目にいきなり2教室を出店し、翌年にはさらに2教室を出店されましたね。事業は順調にスタートしたように見受けられますが。
石塚氏――いえ、それが全然上手くいかず…。
ここから私の失われた4年間が始まります(笑)。
独立したとはいえ、私の場合は社内独立。
しかも元々携わっていたパチンコやFCへの責任の方が大きいので、そちらの仕事の割合が圧倒的に多かったのです。
実際、当時は外食事業の店舗売却の交渉も行っていましたし、ほかにも社員の育成などにも携わっていました。
ですから、塾の方は他人に任せっぱなしになり業績が悪くなる一方。
外食も悪い、塾も悪いという期間は、しばらく続きました。
経営を学び苦難から脱出
中村氏――学習塾の経営は何がネックになっていたのでしょうか。
石塚氏――生徒は集まったのですが、そのために湯水のごとく販促費を使っていたことでしょうね。
また成績が伸びない子がいるとマンツーマンで指導し、結果人件費も膨大になっていったのです。
元々のビジネスモデルが社員2名のスキームなので、広告宣伝や人件費を必要以上に使うと、売上と経費がまったく合わないわけです。
中村氏――会社の収支が任せっきりになってしまった原因は、前職での仕事が忙しかったからですか?
石塚氏――それは私の責任ではありますが、まず私自身が塾を学ばなければいけないということだったと思います。
ですからその時、同じ塾をやっているオーナーのところへ行って、頭を下げてPL(損益計算書)を見せてもらったり現場に入らせてもらったり、またうちの現場にきてもらったりしました。
そういうことをしながら1年かけて現場を少しずつ改革し、利益が出る校舎を1店舗作ってはそれをコピペするようにしていったのです。
中村氏――結局、4年で4校舎を建て直し、その翌年から再度出店攻勢をかけられていますね。5年目には2校舎を取得し、さらにその翌年にも2校舎取得されていますが、経営面での不安はなかったのでしょうか。
石塚氏――4年間運営してわかったのが、それまでの2名体制ではなく1名で運営し、もっとカツカツにコストをコントロールしなければ利益が出ないということです。
当時は4校舎で8名体制だったので、1校舎1名体制にするためにあえて増店をしていったのです。
当然、社員からも反発がありました。
それまでぬるま湯でやっていたわけですから、当時のナンバー2からは、「そんなことをしたら全社員辞めちゃいますよ」と言われましたし、確かに経営も苦しかったですよ。
それこそ自分の保険を売って社員の給料を支払ったこともあります。
でも、僕は雇用に関しては雇った側に責任があると思っているので、今にいたるまで一切リストラしたことはありません。
▶リストラなしで経営苦難から脱出!次のページでは、組織としてのあり方、目標とするフランチャイジーについて語っていただきます。