ロジックが導くメガフランチャイジー成功への道(後編)
- 2022/3/7
- インタビュー
メガフランチャイジーとして全国でFC事業を展開する株式会社リックプレイス代表取締役 石塚信司さんへのインタビュー。前編では、「ホテル経営がしたい」という子どもの頃からの夢を実現すべく、石塚さんの新卒営業マン時代からパチンコ業界への転身、新規事業立ち上げに携わったご経験を語ってくださいました。後編となる本編では、社内独立での起業、店舗の買収など、譲渡案件による事業拡大を図る中で、メガフランチャイジーに至るまでのご苦労と経営手腕について詳しく伺っています。インタビュアーは前編に引き続き、フランチャイズ専門誌「ビジネスチャンス」編集長 中村裕幸氏です。
目次
企業内独立での起業
中村裕幸氏(以下、中村氏)――中央遊技場(現:セントラックス)で新規に立ち上げた外食事業も当初は順調だったようですが、2004年頃から不採算店の売却を行うようになりましたね。外食事業を一旦縮小し、本業に回帰するということだったのでしょうか。
石塚信司氏(以下、石塚氏)――もちろん業績の悪い店舗もありましたが、店舗を売却した理由は、むしろ本業のパチンコ事業の環境が厳しくなったことが大きかったですね。
パチンコ台の射幸性規制や広告宣伝規制の強化などが理由ですが、今まで順調に経営できてきたものが難しくなった。
そのため、それを補填するために店舗売却の交渉を行っていたのですが、外食事業もそこまで良い状況じゃない。
私自身も、もうお役御免かと思っていました。
目標は社員のやりたいことができる会社
中村氏――事業全体を縮小していたこの時期にリックプレイスを設立されていますね。
石塚氏――リックプレイス自体は、当初、社内独立の形でできた会社です。
私が独立したいと社長に話をしたところ、社長も了承してくれて。
しかも社員だからということで、資本金1000万円の内の400万円を出していただきました。
山田社長は僕のやりたいことをなんでもやらせてくれた。
だからそういう意味ではすごく感謝しています。
私も、社員がやりたいことをやらせてあげられる会社にするという信念のもと、山田社長のやり方を今の会社でも実践させてもらっています。
中村氏――なるほど。会社の支援で2004年の11月に会社を設立し、同時進行で従来のパチンコ店と外食事業の運営にも携わっていたのですね。しかし、あえてなぜこのタイミングで起業をしたのですか。
石塚氏――正直、当初は全然独立しようと思っていなかったんです。
なぜならパチンコ屋の役員って、やっぱり待遇がすごくいいわけです。
しかも社長は僕にやりたいことを全部やらせてくれる。
こんな居心地のいい環境はほかにないじゃないですか。
でもそんなある日、フランジャ(2016年に休止したフランチャイズ専門メディア)の編集長が、自社で主催しているフランチャイズクラブというオーナーの会に呼んでくれたのです。
そしてそこにいた社長たちの楽しそうな表情を見て、ふと自分の小学5年生の頃の夢「ホテル経営者になること」を思い出したのです。
中村氏――経営者たちの姿に刺激を受けて自分に重ね合わせたのですね。もしかしたら自分もできるのではないかという後押しにもなったのでしょうね。
石塚氏――そうですね。
社長になることをチャレンジしなかったら後悔すると強く感じました。
しかもちょうどこの頃40歳を目前に控えていたので、このタイミングで独立したいと社長にお伝えしました。
そして、40歳になる誕生月12月の直前、11月にギリギリ自分の会社を設立することができました(笑)。
▶社内起業を果たすなか「ホテル経営者になる」夢を思い起こした石塚さん。いよいよ次のページでは独立を果たしますが、多くの苦難に見舞われての船出だったようです。