2008年頃から人口減少が顕在化し、先進国で世界いち早く超少子高齢化社会に突入した日本。生産年齢人口は右肩下がりで減少し、2030年頃には600万人もの労働人口が不足するという予測もあります。そのなかで最も深刻な人材不足が生じているのが介護業界です。この「労働者不足問題」に取り組んでいるのが、株式会社B2Bサクセス 代表取締役 大坂登さん。同社では、介護留学生奨学金保証事業や賃貸物件支援サポート、特定技能※外国人材の登録支援機関・有料職業紹介・出入国サポート・生活サポート、日本語学校などの事業を展開しています。もともと金融業界出身だった大坂さんがなぜ介護業界に着目し、さまざまな事業を展開するに至ったのか。今回のインタビューでは、その経緯や今後の展望についてお話を伺いました。
※人手不足が深刻化する建設や介護などの業種14分野で、一定の技能を持つ外国人を受け入れるため設けられた日本での在留資格。出入国在留管理庁が2019年に創設。
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新卒で金融の世界へ
Z-EN――本日はよろしくお願いします。まずは自己紹介からお願いします。
大坂登氏(以下、大坂氏)――私は秋田県出身で、昭和35年生まれです。
菅元首相の出身地である湯沢に近い横手が故郷で、菅前首相の高校の同級生である旧十文字町の元町長と友好もあり、また、初の民間出身の首相補佐官になった高校の同級生もいます。
昭和58年に新卒で金融会社に入社して、上場時期には広報部に所属。
広報と言いながらも総務的な幅広い業務を担当していました。
現場の統括責任者なども経験し、前向きにも、後向きにも、現在のビジネスにつながる良い経験ができたと思っています。
47歳で独立 需要を先取るビジネスを展開
――その後、金融業界から介護の世界へ転じたのは、どのような経緯だったのでしょうか?
大坂氏――会社の社風が変ってきたことがきっかけで、転職を決めました。
そのときは、同じ金融業の会社に役員として転職したのですが、経営不振となり、結局、銀行主導で外資系ファンドに売却されてしまったのです。
そのようなこともあり役員を退任して、47歳のときに独立することにしました。
高齢化社会に対応できる事業に着目
独立時、介護業界に着目したのは、当時すでに日本の人口減少の兆候が見られ、少子高齢化社会の到来は確実だったからです。
人が老いるのは当たり前のことで、50歳の人は20年後には70歳になります。
それなら、早くから高齢化社会に対応した事業を展開しようと思い、大井町にある接骨院を買い取りました。
「健康寿命」という言葉と概念は当時まだ浸透していませんでしたが、健康であり続けるためには日々の身体のメンテナンスが必要だと考えたからです。
――先見の明があったということですね。接骨院では、なにか特別な工夫をされていたのでしょうか?
大坂氏――接骨院は土日祝日に休むところが多く、それが業界の常識になっているのですが、「家賃を払っているから、できればフル稼働させたい」「他の院が休診にしているなら逆にチャンスだ」と考え、週7日フル稼働にしました。
休診は、お正月の三が日だけです。
業界外の視点で接遇を差別化
院長には「カレンダーの1ヶ月を50日にするマジック」を伝えて、効率的に稼働する仕組みをつくりました。
また、土日に来院する人は、保険対象の診療よりも自由診療のニーズが高いことに気づき、そこを伸ばすことを考えたのです。
さらに、平日の日中が比較的空いていたので、主婦層向けに美容鍼を導入し、女性鍼灸師を集めて施術を行うなどの工夫も功を奏しました。
治療院は清潔感が大切だと思い、スリッパが除菌済みだとわかるように、あえて患者さんの目の前で除菌するようにし、患者さんが履くスリッパは除菌済だと安心して来院してもらう接遇にも気を配ってきました。
――いろいろなアイディアを実践されていかれたのですね。
大坂氏――施術家は施術にしか注目しないことが多いのですが、私は業界外の人間ですから外からの視点で細かなところにも着目し工夫できたのだと思います。
接客業でもあるので、接遇のし方がとても大切で、それも差別化に繋がるわけです。
接骨院に通う人もいずれは要介護になりますから、接骨院を開業している同じエリアに通所介護事業所を展開し、患者さんを最後まで大事にお世話していました。
経営は順調ではありましたが、一方で「人がやる仕事だから人材が必要で、生産年齢人口の減少によって今後増々採用は難しく、採用コストが増すだろう」と、課題も感じるようになっていた時期でしたね。
▶独立後、介護事業を展開してきた大阪さん。人材育成という視点から新たな事業に取り組まれるようです。次のページでお伝えします。