荀子から考える②~主体的な選択のもと、礼を重んじ相手を安心させよ
- 2022/5/12
- コラム
2500年前の超現実的哲学者、荀子。中国を統一し、後に続く漢王朝の思想的土台を作った人々に大きな影響を与え、帝王学の基礎となる考え方を示しました。
君子となる優れた者と、凡人の違いはどこか。
己を律し、安心させるために必要なものは何か。
置かれた環境の中で自らが揺らがず、大切なものを見失わないための心の持ち方を提示するコラムの2回目。一般社団法人数理暦学協会の代表理事 山脇史瑞氏の解説でお届けします。
貴族出身、還暦でアカデミー創設
荀子は諸子百家には珍しく、貴族階級の出身だ。
そのため、貴族(卿)ということで、
「荀卿」とも呼ばれていた。
斉の国で、学芸の中心地である
「稷下の学」と呼ばれたアカデミーに留学したのが
何と50歳の時。
中年から世に出た人である。
50歳になるまでの記録はない。
儒家・墨家・道家、陰陽家、兵法など
さまざまな学派が集まり、
自由に討論が行われていたこのアカデミーに
10年程滞在する。
その後、楚の国の宰相、
春申君にヘッドハンティングされて楚に移り、
還暦後に自らのアカデミーを創設した。
ここに入門したのが、李斯と韓非子である。
春申君が没した後も母国には帰らず、
楚の蘭領にて、約20年の余生を送った。
教育と著述活動を行い、
おびただしい数の文章を残している。
今読んでいる書籍は、その時に書かれたものである。
「帝王学」の礎に荀子の考え
荀子に影響を受けた者達が、
その後中国を統一に導き、
後に続く漢王朝の思想的土台を作ったという。
性悪説を基礎とし、礼や教育をもって
人は改善されるべきだとの考えに立つ
荀子的教育を庶民に施してきたことが、
今も影響しているのではないか。
そう考えると、
帝王学の基礎は、この荀子の考えにあり、
習近平国家主席が、
荀子を愛読していることも頷ける。
伝※に、君子は物を役し小人は物に役せられる、といえるは此れを謂うなり。
身は労するも心の安ければこれを為し、
利は少なきも義の多ければこれを為す。
荀子巻第一 修身篇第五(岩波文庫「荀子」金谷治訳より)
優れた者は、自らが主体となり、
自分を取り巻く環境や、
周りの人々を上手に活用するが、
凡人は、主体性がないため、
環境や外物に翻弄される。
今の商売を続けていても、
大した利益が出ないことは分かっている。
しかし、
それが「自分が生きている」という道義なら、
それを行った方が良い。
修身篇では「礼」に従って生きることを説く。
国家を統治する制度や公正な法は、
「礼」の精神によって制定されるべきとする
考えがまとめられた。
※伝は、儒教の基本経典である六経の注釈書。
主体性を持ってこそ、満足できる
己という主体性をもって、
今やるべき事を黙々とやることこそ、
気持ちが落ち着く唯一の方法であり、
主体性があれば、環境に応じて己の力で
生き方を変えることが出来るのだ。
無駄だからと辞めてしまうと、
不安になるだけだ。
不安になると、外物(周り)に翻弄され、
混迷の中に生きることになる。
この商売の方が儲かるからと勧誘され、儲かっても、
そこに己の主体性がない限り、
安住することはない。
外物に翻弄され、利用され、
幾ら利益が出ても、心が満足しない。
「礼」の規範に従う
もう一つ、自分を安心させる手段として、
荀子が唱えているのが、
「礼」の規範に従うことである。
荀子のいう「礼」とは、茶の湯の世界に近いものだ。
主体性を持ち、礼に沿った
安定した行動・動作が出来れば、
どんな野蛮な地に行っても、
相手を安心させ、信頼される。
見知らぬ相手を安心させる姿を保つ
荀子の生きた古代中国の戦国時代は、
言葉の通じぬ異民族との戦いの時代でもあった。
見知らぬ相手を自然に安心させる姿の維持こそが、
自分を一番安心させる方法なのかもしれない。
荀子は、中国戦国時代末の思想家・儒学者。紀元前4世紀ごろに趙に生まれ、50歳で初めて斉に遊学したといわれています。尊称として荀卿とも呼ばれ、漢代には孫卿とも呼ばれました。礼を重んじ正しい礼を身に着けることを徹底した思想家で知られています。
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出典:荀子思考が創り出す、未来社会② 帝王学の始
この記事は著者に一部加筆修正の了承を得た上で掲載しております。