老子に学ぶ、現代社会思考~戦わずして勝つのは “動”の孫子か、“無”の老子か
- 2022/2/18
- コラム
他社との競い合いを繰り返さざるを得ない経営者たちは、常に勝ち負けを意識して戦略を立てることが多いのではないでしょうか。全12回の予定でお届けする「老子で学ぶ、現代社会思考論」。今回11回目は、「戦わずして勝つ」方法を考えるうえで、「孫子の兵法」を考察することから老子のいう「絶対的勝利」について明らかにします。
一般社団法人数理暦学協会の代表理事 山脇史瑞氏の解説による比較論。現代の市場競争で勝つためのヒントが隠されているかもしれません。
孫子の戦法~イノベーションを起こし続ける
百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。
戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。孫子の兵法 謀攻篇
100回の戦いで、100回勝ったところで、それは最善のものではない。
なぜかと言うと、101回目に負けてしまう可能性があるからだ。
戦わずして相手を屈服させる方法こそ、最善の上策である。
孫子の兵法とは、戦い方のマニュアル本だ。
神頼みだった戦い方を改め、
過去の戦争データを分析し、
統計理論を用いて勝ち方の法則を導き出す。
孫子の戦いは、相対的である。
自分たちのサービスが優れている時は勝つが、
相手が新たなイノベーションをおこし、
自分達より優れたサービスを提供した途端、負けてしまう。
故に、イノベーションをおこし続けるか、
ライバル会社から有能な社員を引っこ抜いてくるしかない。
常にイノベーションを!と部下に訴え、
イノベーションを起こし続ける仕組みづくりに奔走し、
永遠に戦い続けねばいけなくなる。
老子の戦法~自然の理に任せる
それに対し、老子の提唱する「勝ち」とは、絶対的な勝ちである。
天の道は争わずして善く勝ち、
言わずして善く応じ、
召さずして自から来たし、
繟然として善く謀る。
天網恢恢、疏にして失わず。老子道徳経 七十三章
大いなる天のやり方は、争わずに勝利し、言葉を用いずに応え、呼びよせずに自ら来させ、ゆったりとしながら遠大な計画を内に秘める。
天が悪を捕える網は、粗い目をしているように見えて悪を決して逃しはしない。
何も言わなくても、部下をうまく感応させ、
時期が来れば、自然に部下の方からやって来て、
自発的に計画を立てていく。
このように、
自然にまわりを、思いのままに動かせる力
は、一見隙間だらけのようにみえるが、
自然の理法に従っているため、
何一つとりこぼしがないように、
うまくいくものだ。
自然の理法とは、
自然に従うことであり、
自己が無になることである。
こちらに争う意志がなければ、
それに対して争いを仕掛ける者はいなくなる。
禅的な戦い、
自己の内面の心の戦いだ。
自分を無にし、
相手を自然に感応させる存在になると、
物事は自然に動いてくるという。
この絶対的勝利ともいえる境地への到達方法の一つが、
禅的な境地に至る、
只管打坐。
余念を交えず、ただひたすら座禅すること。
ただひたすらに坐る、それに成りきる。
形は心を作り、体と心が一つになる。
内なるものに勝る柔らかな強さを
Z-ENの読者が禅的な方法で、「戦わずして勝つ」なら、
自己を無にすることでしか成しえない。
老子は「水のような存在になれ」という。
上善は水の若し。
水は善く万物を利しても争わず。
衆人の悪む所に処る。故に道に幾し。老子道徳経 第8章
最高の善い生き方とは、
水のような存在になることだ。
関わるすべてのものに最大の恩恵を与え、
一言も不平を言わない。
自己主張して争うことなく、
誰もが嫌がる仕事を引き受け、
利用されながらも、
低姿勢を貫き続ける存在であり続ける。
それこそが、
「戦わずして勝つ」老子的方法であり、
時代に適応できる柔軟性と真の強さがあるという。
無になる強さこそ、
柔らかく形を変えて生き延びる術となるのではないか。
一般社団法人 数理暦学協会では、
週2回のZOOMオンライン東洋思想勉強会(無料)を開催しています。
詳しくはコチラをご覧ください。
出典:老子と学ぶ人間学⑪ 老子と孫氏の「戦わずして勝つ方法」
この記事は著者に一部加筆修正の了承を得た上で掲載しております。