老子に学ぶ、現代社会思考~ポストモダニズム時代のマーケティング
- 2021/9/6
- コラム
老子の書と伝えられる「道徳経」から現代の世相を紐解くコラムの第3回目。第3章より、知識偏重の愚かさについて、一般社団法人数理暦学協会の代表理事 山脇史瑞氏が考察します。束縛から解放され、人間として自由に生きていくために必要な素養とは何でしょうか。
近代化から多様化へ
ポストモダニズムとは、
西欧文化だけを価値あるものとするのではなく、
異文化を受け入れる総体的な概念であり、
近代産業への信奉に不信を突きつけることから
1980年代に始まった。
日本ではバブル経済を迎えたため、下火になったが、
地球が悲鳴を上げ始めた今、
その流れは世界的に加速しており、
作り手側が、消費者の志向を把握して商品を開発し、
「これこそあなたが欲しいものだ」と、
広告してトレンドをつくるという、
近代マーケット手法は通用しなくなっている。
欧米では文化現象学とも名付けられ、
多くの大学で研究が行われている。
争いは自分基準の価値判断から起こる
多くの人が、若者の志向の変化に気づいている。
流行の商品でも、自分の趣味に合わねば買わないし、
切磋琢磨して頑張るより、
自分の好きなことや興味のあることに囲まれた、
豊かで、楽な生活スタイルを何よりも望んでいる。
それなのに、日本のマーケターは
時代遅れとなった近代マーケット教育を
未だに受けているようだ。
近代マーケットで育った年代は、
彼らを欲がないと嘆くが、
社会現象学的に考察すると、
モダニズム(近代資本主義社会)から、
ポストモダニズムに移行したにすぎない。
それにいち早く気づいたのは、
こんまりこと近藤麻理恵さんであり、
ミニマリストたちだ。
この潮流はいつから始まったのか。
次の老子の言葉を見ると明らかだ。
賢を尚ばざれば、民をして争わざら使む。
得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗を為さざら使む。(道徳経 第三章)
知識人を尊重し、
厚遇して取り立てず、
得難き才能や、
希少な宝を貴重なものとし、
特別扱いしなければ、
妬みもなくなり、
社会闘争をやめさせることができる。
これは、老子が目指した平和社会の実現法であり、
平成の教育方針でもある。
そのやり方が成功したからこそ、
混とんとしたこの時代、
我々は暴動も起こさず生きている。
極めて平和な社会ではないか。
答えのない難問に向き合う力を
時代は確実に変わった。
故に、近代マーケティング手法は通じない。
商品デザインの時代から、
消費者の行動をデザインする時代に入ったのだ。
その変化に気づかず、ペルソナやPDCAを
行っている場合ではないだろう。
モノへの興味がなくなると、
ひとの意識は更なる内側か、外側に移動する。
欧米の研究機関は、
従来の経済分析や消費者心理分析だけでなく、
人類学、哲学、歴史、地理、美術など、
従来型のマーケティング分野が
軽視していた分野の知識こそ、
これからは大切だという。
文化、哲学、歴史こそ、
これからのマーケターの必須科目ではないか。
出典:Wikipedia
老子は、今から約2500年前の戦闘動乱期、中国春秋時代における哲学者です。後世に諸子百家と呼ばれるようになった哲学思想集団のうち、道家は老子の思想を基礎としています。後に、老子を始祖に置く道教の教えを書き記した「道徳経」は、先人の金言が徐々に集積されたものなどの諸説が存在しています。
出典:東洋古典運命学「老子と学ぶ人間学③ ポストモダニズム老子時代」
この記事は著者に一部加筆修正の了承を得た上で掲載しております。